The Split Heart
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  それは口実だったのかもしれない。

  「声を戻してみマショウ」と言ったところで、天導天使の身一つでは何をすることもできず。結局、彼女――本当はどちらだか良く分からなかったけれど、便宜 上彼女としておく――は踵を返して研究所へ戻ることとなった。

  天道天使の話を聞いた上級天使は眉一つ動かさず、少し不自然なくらいの無表情で研究所の部屋を一つ、彼女にあてがう手配をした。一瞬出合ったその紅い瞳か ら、12号は何を読み取ることもできなかった。

  彼も、僕の声が戻ることを望んでいるのだろうか。それとも…

  埃だらけの狭い物置のような場所ながら「自分の城」を手に入れた天道天使は、他の研究天使たちの渋面を気にする風でもなく、必要物品の手配などてきぱきと 指示を出し始めた。少々呆気に取られ突っ立っていた12号にも、次々と作業を振り当てる。
「これは使いヨウがありませんね。外界へ持ってイッテクダさい。――ホコリは機器類の大敵ですから、濡れ雑巾で隅々までヨク拭いて…」

  何となく割り切れないものを感じつつ、12号は言われるままに身体を動かす。やがて外界に漆黒の闇が訪れる頃、大方片付いた部屋の中で手の埃を払った天導 天使は、ふいに床を向いた。
「ワタシは……また、罪を犯そうとしているノデショウか……?」
 研究室然として整った部屋に、過去の記憶を刺激されたのだろうか。黒い方の手を持ち上げ見つめていた彼女の身体が、ガタガタと震え出す。
「ワタシ…私は……」
 仮面をつけているのか、それともそういう風に歪んでしまったのか、高い位置にある奇妙に小さな顔を両手で覆う。
「何もかもをアキラかにして行くのが楽しかった。神のヒミツも――それを歪めていくことすら、ホントウハ…楽しんでいたのかも知れません」

  声を亡くしている12号は、当然のことながら何も言わなかった。
 肯くことも、首を振ることもない。ただ、恐怖と好奇と良心に引き裂かれた彼女の心のありようが、彼女の歪みとして姿形に現れ出ているように思った。何に せよ――
 もう、過去のことだ。

  何も言わず静かに見つめている12号の視線に我へ帰ったのか、震える指先を握り込んだ天導天使は一つ大きく息を吸った。
「スミマセン…取り乱したりシテ」
 12号は、今度は小さく首を横へ振る。
「イマサラ言っても……詮のないことですね。トニカク、明日から、あなたの声について調べてミマス…あの…嫌では、ナイデスカ?」
 12号は再び、首を横へ振る。天道天使はホッとした様子で息を吐いた。
「ヨカッタ…では、よろしくお願いします…」


 片付けたばかりのそこで寝泊りするという彼女を置いて部屋を出た12号は、薄暗い廊下にふと足を止めた。ここ数日は神経塔の中で、それ以前は研究所…と いうより病室で過ごしていたわけだが、そういえば自分はもうここに泊まれる理由がない。
 この世のどこであろうと神経塔の中よりはマシなはずなのだが、狭い空間に慣れてしまったせいか、遮るもののない外界で異形の跋扈する夜を過ごすのは「何 となくイヤだなぁ」と思われた。一応、自分の使っていた病室が空いているかどうか見てこよう、と踵を返しかけた12号の目に、煉瓦色の扉が映る。
 ――“彼”はどうしているだろう?
 考えが意識へ浮かぶより先に手を掛けていた12号は、それをほんの10センチほど横へ滑らせた。
 果して。
 一身に戻った彼は、仄かな明かりの点る薄闇で、ベットの上に身を起こしていた。
「誰だ」
 向けられた瞳の紅が、まるで光っているかの如くくっきりと見える。鋭い声だったが、別に怯む理由もない12号は、答えをするかわりに扉の中へと身体を入 れ た。
「――お前か」
 上級天使が肩の力を抜くと、周囲を圧していた空気がふと緩む。そうなってみて初めて、彼が己の周りに及ぼしていた力に気付くわけだが、それはとても不思 議なことに思えた。
 なぜ、彼にはそういう力があるのだろう。
「――…こんな夜中に何の用だ?…と訊いたところで答えられないな」
 上級天使の唇の端に、自嘲めいた笑みが浮かぶ。12号は躊躇いなく近付いて、ベッドの傍に置いてあったスツールへ腰を下した。弱々しいセピアの光が上級 天使の白い頬を照らしている。
 血管を流れる血の音すら聞こえそうな静寂が辺りを満たしている。
 何か言いたげに一度震えた上級天使の唇が、また引き結ばれた。少し苦しそうに身体を横たえながら、彼の声は忌々しさをまとっていた。
「私は、もう眠る。用がないなら、さっさと出て行け」

  そう言われても12号は何故だか部屋を出る気になれなかった。
 特に何を言いたいわけでもないのに、何かを彼に伝えたいような、もどかしい気持になる。
 ふいに、遠い記憶が脳裏を過ぎる。大熱波より前の、彼の面影。やはり自分は同じように、どこか鋭いナイフのような冷たい彼の面差しを、何か伝え たいような、もどかしい気持で見つめていた。


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