薔薇と薄荷 2

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Feb.21.2010.

 表向きは何も変わらなかった。

 心底ホッとした。もう駄目かと思っていたのに、何だか普通に飯も食って貰えてるし、「美味しい」とか笑ってくれてる。

 普通に会って話して食事して……別れて。これ以上など望むべくもない日常。

 なのに、どうしてか。腹の辺りに燻ぶる違和感が消えない。正体不明の、もやついた何か。

 無意識に伸ばしていた指の先をすり抜ける肩。振り向いた琥珀の瞳が微笑む。

「では、また。おやすみなさい、ルシファード」



 恋しい男に必要とされ、愛されて傍に居るのに苦しいなどと、どれだけ恋情というのは貪欲なのか。

 叩かれたって、良かったのだ。

「あんたは俺のモノの筈だろう」と怒ってくれたなら、どれほど……。

 どれほど、嬉しかったろうか。

 そんな“普通”の反応なぞ、規格外な彼に期待するだけ虚しいと、幾度となく思い知らされている筈なのに。大体、一般的基準から大幅に外れている自分が普通を論じるのは失笑モノだし、彼の彼らしさを愛しているならば、そういう違いこそ愛しむべきなのだと。

 分かっちゃいるけど止められない……ってコト、ありますよね。

 懲りもせずに期待して、際限なく裏切られ続ける。それでも――

 ……それでも、好きだなんて。



「サラディン」

 後ろから抱き寄せられ、とりとめのない思考が中断する。蓬莱人は年若いツバメ(注※ミハイル)を部屋へ迎え入れ、ソファの座面に寄りかかって床へ座り、恋人の形見を爪弾いていたのだった。

 ソファに座ったミハイルが、背後から回した両腕でサラディンの頭を抱き寄せる。

「ネガティブ思考なんて、あなたらしくもない。止して下さい。あなたは喰らう側であって、喰われるのを待っているタイプではないでしょう?」

 振り向きざま、思わず溜息が洩れる。

「……私は繊細ですからね。あまりの報われなさに意気消沈することだってあります」

「じゃあ、乗り換えればいいでしょう。俺に」

 さも当然と笑う緑の瞳に、強張っていた頬が緩む。

「悪くないかもしれませんねぇ……あなたでは従僕の域を出られないとは思いますが」

「ひどいな」

 ルシファードほど太くはない、けれどしっかりと筋張った腕に頬を寄せ、体重を預けて、目を閉じる。

 ……悪くない。

「別に、好きにして構いませんよ。“一番はお前だ”と言っておいてやれば、あの猛獣は飼い慣らせるようですから」

 寄り掛かった腕に力がこもる。

「据え膳に手を出せない何処かの馬鹿とは違うんですから、不用意な発言は慎んで下さい」

「なんだ、所詮あなたも鳥心ですか?……つまらなッ」

 言い終わる前に耳の下へ口付けられ息を呑む。

「好きですよ、サラディン」

 耳へ流し込まれる甘い囁き。

「大好きです……」

 首筋を辿る唇に、くすりと笑った蓬莱人は、やおら向きを変えると逆にミハイルを長椅子に組み敷く体勢になる。

 眼をしばたたいている彼の唇や頬を白磁の指先で弄びながら、妖艶に嗤った。

「私は喰らう側であって喰らわれるのを待つタイプではない……でしょう?」

 ゆっくりと、近付けて、唇を重ねる。蓬莱人の享楽的な本性に火が灯る。

 後頭部へ回された手がもどかしく髪を掴んだ。





「あれ? ドクター、どうしてここにいんの?」

 士官食堂で馴染みの青緑色と綿菓子頭を見つけたルシファードは、副官と共に彼らのテーブルへ近付く。

 振り向いた蓬莱人は、どこか夢見ているような瞳をゆっくりと瞬き、ルシファードへ焦点を合わせた。

「ああ……こんにちは、ルシファード」

「――どうかしたのか? サラディン」

 昨日まで感じていた微妙な距離感が霧散している。思わず伸ばした手も避けられることなく白い額へ届いた。

「……何ですか?」

「いや……ナンか、熱でもあるよーな気がして」

 微かに潤んで見えた瞳から連想されたのだが、触れた感触はルシファードのそれより低く感じられた。

「大丈夫ですよ。多少寝不足ですが――どうぞ」

「あ、サンキュー」

 促され、隣に座った男の顔を見て、サラディンがふと笑う。

「……何?」

「いいえ、別に」

 そう言いながら、更にくすくすと愉快気に笑った。

「すげぇ気になるんですけど? 教えて下さいドクター」

 とりあえずは機嫌が良さそうなので、ルシファードも苦笑しながら問う。

「いえ、意外に容易いものだったなと思って」

「――何が?」

「内緒です」

 悪戯っぽい外科医の微笑は、いつにも増して麗しく見えた。

「気になり過ぎるぜ。なぁカジャ、サラディンが楽しそうな理由、知ってるのか?」

 ふわふわの白い髪を光に透かした一見美少年は、オレンジの大きな瞳を半眼にしながら溜息を吐く。

「知っているがお前には教えん」

「えー、ナンで! どーして?」

 本日のお勧めB定食をもりもりと平らげながら抗議するが、内科医はぷいとよそを向いて答えない。

「教えて欲しいですか?」

「止せ、サラ。せめてライラが食べ終わって一息ついてからにしろ」

 急に話を振られたライラが目を丸くする。口にしていたパンを飲み込んでから、カジャの方へ尋ねた。

「つまり、それを聞いたらゆっくり食事もしていられないような、穏やかでない内容だということですね?」

「明察だ、ライラ。一体何が起こるか、推測の域を超えている」

「席を離したら何とかなりそうですか?」

「コイツがどうなっても君が気にしないでいられるなら大丈夫だろうが、そうもいかないのだろう?」

 じろりと一瞥で“コイツ”を示されたルシファードは、付け合わせのポテトを食みながら首を傾げる。

「ご心配なく、今は休憩中ですもの。――ねぇルシファ。ドクター・アラムートから何を聞いたとしても、23分後には仕事に戻るって約束できる?」

「約束しねぇと話してもらえないんだろ? じゃ、約束するよ。気になって午後仕事にならなくてもお前に殴られるだけだし」

「いいわ。じゃ、私たちは席を外すから。……ではドクター、失礼します。また、後ほど」

 機嫌よさそうに笑んだサラディンは白い手を振る。

 ライラとカジャは仲良く肩を並べてはるばる食堂の向こう端まで歩いて行く。ほんの2・3個離れたテーブルに陣取ると思っていたルシファードは、初めて不安を覚える。

 ――え、何? そんなに距離とらないと危険な内容なワケ?

 目の前の外科医に視線を戻すと、机へ頬杖をついた彼は相変わらずニコニコしている。

 真珠色の肌、薔薇色の唇、琥珀色の瞳、青緑の髪。

 夢幻のような色彩に飽きもせず見惚れた。

「どうします? ルシファード」

「あ、ええと……今日のあんたが機嫌がいい理由、だよな。うん、聴きたい」

「……本当に?」

 縦長の瞳孔を持つ瞳が眇められる。

「わー、心拍数上がってきた。お手柔らかにお願いします、ドクター」

「じゃあ教えません」

 長い睫がついと横を向いた。

「……すみません、私が悪うございましたドクター。もう弱音は吐きませんから教えて下さい」

 視線を戻したサラディンは上体を起こし、軍服の腕を組む。

「まぁ、そんなに勿体つけたような事でもないのですけれどね。ただ、あなたと私がこれでやっとお相子になったというだけなのですが」

「これでやっとお相子? 俺とサラディンが?」

「はい」

 微笑む顔は鳥肌立つほど美しい。

「どういう意味?」

「今まであなたの、来る者拒まずな節操のなさにヤキモキしたり腹立ったり落ち込んだりしていたのですが、赦せる気分になったから愉快なのですよ」

 ――分からない。

 『来る者拒まずな節操のなさ』=俺があっちこっちでキスしたりされたり上に乗っかられたりしてきたコト、だろうな。

 そういう俺と『お相子』=サラディンも同様にキスしたりされたり上に乗っかられたりした、ってコトか?

 ちょっと待て。

 自分の解釈を話すと、サラディンは「まぁ、おおよそ合っています」と澄まし顔で頷く。

 ……ちょっと待て。

「誰に乗っかられたワケ?」

「さぁ、誰でしょう」

 いくらなんでもサラディンの上に乗っかる勇気ある女性に心当たりはなかった。メリッサは復縁したばかりの身重だからあり得ないし。

 分からない、と言うより考えたくなかった。

「そうかー…まぁ、サラディンは顔良いし仕事はできるし。今までモテてない方が不思議だもんな」

 蓬莱人の顔から微笑が消える。そしてすぐに苦笑めいた色が再び浮かんだ。

「期待はしていませんでしたが……当て馬にもならなかったと聞いたら、ミーシャは怒るかも知れませんね」



 ――あぁあ。

 聞きたくなかったな、その名前。



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