緑眼狂騒曲 〜The Green Eyes Rhapsody〜 7

All rights reserved. 転載利用盗作等禁止。2007,5/3

 空中で鋭い金属音と火花が散る。
「ルシファード!!」
 二人の動きはサラディンの視力でようやく追える。常人の目には残像しか映らないだろう。
 ルシファードは超振動ナイフ、相手の青年は何やら見慣れぬ白銀色の鞭のような武器を使っている。
 互角――では、ない。ミシェルの方は防戦に必死なのがありありと見て取れた。しかし、きっぱり「消す」と言った割には、ルシファードの動きにも躊躇いが あるような…。
 「戦うと決めたら即座に徹底的にやる」主義の実例を見た医師には違和感があった。先程の、ユルスナールという人物に関係するからだろうか。
 手にした獲物が超振動ナイフでは、無傷で捕獲するつもりもない、とは言えたが。恐らくルシファードのこと、腕や足の一二本、斬っても差し支えないと思っているのは間違いない。
 一昨日、接触テレパスを通じてミシェルから細かな事情を打ち明けられていたサラディンは、対処に惑った。
 ミシェルの“監視者”がまだ動いているなら、今この状況も把握されているだろう。ならばもう、ルシファードが乱入してきた時点で、全ての計画はご破算になっているはず。しかし確かなところが分からない以上、まだ自分は“それらしく”振る舞っておくのが無難か。
 数分の迷いを捨てて、サラディンは張りのある声を上げた。
「ルシファード、止めて下さいっ!一体、何がどうしたんですか?!」
 説得力のないありきたりの言葉は、真剣勝負をしている二人の耳には当然、届かない。
 優しい日陰を作っていた木の枝が斬られ、濃緑の葉が辺りに散った。バスケットが宙を舞う。
(あっ…)
 その一瞬、蓬莱人は思い切り本気になった。
「お止めなさいっ!!私の大事な茶器を割ったら許しませんよッ!!」
 砂煙を立てて、男二人の動きが止まる。
 二人とも、虚を突かれた妙に幼げな表情をこちらへ向けていた。
 穏やかな水音が戻った湖畔で、握り拳を作ったサラディンと、ルシファード、ミシェルが活人画と化した時――

 ほーほほほほほ。

 柔らかな笑い声が響いた。
「マリリアード?!」
 向かい合った二人が同時に叫ぶ。

 ――遅くなってごめんなさい、ミーシャ。貴方の妹は無事取り戻しました。もう、心配は要りませんよ。

 脳に直接響く、テレパシストの“声”は、肉声よりむしろ微妙で豊かな彩りに満ちている。深く穏やかで、どこか音楽的な印象さえ与えられる声。
 長く伸ばしていた武器を納め、ミーシャと呼ばれた青年は明らかに力を抜いた。
「…ありがとうございます、マリリアード。感謝します」

 ――お礼は、まだ早いかもしれませんねぇ。今後、オリビエにこき使われるだろう事を考えると…。

「マリリアード!一体どーゆうことだよ?!」
 まだナイフを構えたままのルシファードが虚空に向かって叫ぶ。
「事情は俺から説明します…っつーか、遮蔽解くから勝手に読んでくれ。さすがにS級能力者の相手は、疲れた」
 本当にくたびれた様子で投げやりに言う彼から事情を“読んだ”らしいルシファードの目が、大きく見開かれた。テレパシーなら、込み入った事情の理解も瞬時に済む。額へ手を当て、力なく首を振りながら溜息混じりに呟く。
「……またかよ、ったく…」
 ナイフを畳んだルシファードが振り返ると、猛烈にその身を案じていた蓬莱人は、二人そっちのけで放り出された茶器を拾い上げている。どうやら無傷だったらしい――のは祝着だが…。
 ルシファードの胸には、いつか感じたのと同じ怒りが湧き上がっていた。
「サラディン、あんた、知ってたのか」
「はい。わざわざ危ない橋を渡って、ミシェルが教えてくれました」
 あ、本名はミハイルでしたかねぇ、などとのんびり言っている。ルシファードはずんずん歩み寄ると、真珠の光沢を放つ白い頬を少々乱暴に両手で挟んだ。
「暢気に笑ってんじゃねぇよ!自分の身を囮にするなんて危ねぇこと、どーしてするんだ!!下手すりゃ、あん時の二の舞だろ?!」
「ミーシャが、何としても守ると約束してくれましたし、ライラも承知の上でしたから、それほど不安はありませんでしたが…」
「へ?ライラ?」
「そーよ、お馬鹿さん」
 声に振り返ると、一体どこに隠れていたのか、水際に戦闘服姿の副官が立っている。
「今頃、アジトの連中も軍の特殊部隊に検挙されているはずだわ。マオ中佐が指揮して下さっているから、心配ないわね。それにしても、銀河半分あるこの距離を、よくぞ三日で戻って来られたわねぇ?」
 ライラは眇めた目で、なぜか指を鳴らしながらルシファードに尋ねた。
「あっ…え、うー…それは……」
 サラディンの頬を挟んだ状態のまま、ルシファードの視線が泳ぐ。優しく笑うサラディンが、その手に掌を重ねながら、取りなすように言った。
「ライラ。それもこれも私を心配して下さってのことなのですから、大目に見てあげて下さい。彼を叱り飛ばしたところで反省などするわけがないし、どうせ後始末をしなければならないのは一緒でしょう?」
 フォローになっているような、ならないようなことを言う。
「だめですよドクター。たとえ三歩歩いたら忘れる鳥頭でも、いえ、だからこそ躾は厳しくしないと」
「ぼっ、暴力反対!さっきまで茶番だって知らなかった俺を責めるなッ!!」
 蓬莱人を盾にするようにその背中へ隠れたルシファードに、憂鬱そうな声が掛かった。
「茶番どころか、俺にとっては心から命がけの真剣勝負だったんだがな」
 三人の視線が、疲れた様子で髪をかき上げるミハイルの上へ移る。苦笑する彼は、一見何もないように広がる青空を仰いで問うた。
「…マリリアード、ラファエルはそこに?」
 ――はい。成り行き上、連れて来ざるを得ませんでした。怪我はありませんが、やはり少し消耗していますね。
   一度地上へ降りて静養した方がよいかと…幸い、こちらには腕の良い医師がいらっしゃいますし。
「頼みます…すみません。何から何まで」
 再び、柔らかで暖かな笑い声のイメージが降る。
 ――気にしないで下さい。貴方や貴方の家族が不幸だと、私も不愉快なだけです。
    今、臨時の着陸許可を宇宙港に申請中です。許可があり次第、降りられます。
「…親父は?O2も来てんのか」
 ルシファードも空を仰いで問う。
 ――いいえ。オリビエは別で動いています。
  …貴方が乗っ取った戦艦に関する後始末と言いますか、調整が色々あるようなので――

 あちゃー。

 悪事は必ず露見する。ルシファードが恐る恐る横目でライラを見やると、彼女はにっこり笑いながら、握りしめた拳に青筋を立てていた。後から来る鉄拳制裁に覚悟を決めて、肩を落とす。
「え〜と、まぁその……とにかく、サラディンが無事で良かったっちゅーことで」
 掴んでいた両肩に背後から腕を回し、そのまま抱きしめる。美しい光沢を放つ青緑の髪に頬を寄せ、目を閉じた。
 本当に、良かった。
 戦艦を猛烈に急がせながらバーミリオンへ向かっている時の気持ちを、まだ感情に不慣れな自分は上手く表現できないが、たぶんあれは“生きた心地がしな い”と言うのではないかと思う。自分のいない遠くの場所で、この人が命を亡くすなど、絶対にあってはならない。許せない、と思う。
 災厄の王に相応しい美しくも呪いのかかった宝石――こんな風に思うのはドクターに対して失礼だし、自分勝手で図々しいとは思うのだが――サラディンは最優先で守るべき、一番大事な宝物なのだ。
「…なぁドクター」
「…何です?」
 サラディンも、白く細く長い指をルシファードの腕へ重ねて、目を閉じる。肩と背中から伝わる温もりと鼓動が、巨大な安心感となって彼を包む。
「今度、何かあって俺がこの惑星を離れなきゃいけなくなった時は――あんたも連れてっていいか?」
 こんな事があると、心配で任務どころじゃなくなっちまうよ、と無邪気に笑う。
 この体勢にこの台詞――端から見れば、相思相愛恋人同士の甘々なワンシーンでしかないだろうに、本人には全くその気ががないとは、一体どうしたことだろう。
 サラディンは、心から深い深い溜息を吐いて、ルシファードの腕を振り解いた。
「サラディン?」
「…それは良うございました。私のことを心配して気もそぞろだと思えば、待つ身も少しは我慢できようというもの。せいぜい冒険をして、貴方の肝を冷やして差し上げましょう」
 間違えようなく冷ややかな言葉つきに、ルシファードは自分が外科主任を怒らせたことを知る。
「――悪かった、ドクター。今の、すっげえ勝手な言い草だった。あんたにも仕事があるし…俺の都合で連れて行きたいだなんて我侭だよな。ごめん。ホントにすまん」
 とんちんかんな理由を合点してひたすら謝る大尉に、蓬莱人の口からは再度の溜息が漏れた。
 どうしたらこのお子ちゃま仕様の頭に、恋愛とそれに伴う苛立ちの文脈を理解させることができるのだろう?

 静けさを取り戻していた湖面が再び揺れる。連邦宇宙軍の軍用ヘリが、湖面に没した偽装救難ヘリと、その乗員を回収に来たらしい。ルシファード達の周囲にも、わらわらと迷彩柄の一個中隊が展開し始める。
「ミーシャ」
「はい、サラディン」
 バスケットや、それに付属する諸々を片付けていたミハイルが振り返る。
「これから宇宙港へ向かうのでしょう?私も参ります。貴方の妹さんという方にもお会いしてみたいですし…構いませんか?」
 機能訓練士は元通りの好青年顔で破顔した。いや、隠し事のなくなった笑顔は以前より爽やかさ三割り増しという所だろうか。もはやテレパシーで外見を偽装する必要もなく、わだかまりのなくなった全身から、解放された喜びが滲み出している。
「もちろんです、ドクター。ありがとうございます。妹もきっと喜びます」
「待てよ、サラディン。俺も一緒に行く」
 名乗り出た大尉に、外科医は冷ややかな答えを返す。
「貴方にも“乗っ取った戦艦の後始末”があるのではないですか?普通なら宇宙軍刑務所行きの事態だと思うのは、私の考え過ぎでしょうか」
「大丈夫。誰も俺のことは覚えてな――」
 痛快な打擲音が響いた。
「――周囲にまだ観覧者が大勢いる事態だと分かった上でそういう発言をあっさりするんじゃありませんッ!!」
 本当に後ろ頭を叩いてやるのが任務とは、私は猛獣の調教師かっというライラ内心の嘆きをよそに、ルシファードは相変わらず悪びれない態度で言う。
「大丈夫だって。フィルム式カメラでもない限り、俺が来た時点で全部データ飛んじゃってるはずだから。…そーいやどーしてこんなにギャラリーが大勢いるんだ?」
 黒髪の大尉は、副官に叩かれた後ろ頭をさすりながら、一見普通の行楽客しかいないような湖畔を見渡した。野次馬が集まっているのは、状況からして不自然はない。だが先ラフェール人の超感覚は、普通の行楽客と、行楽客を装ったミーハー連中とを明確に区別して認識していた。
「陰謀を企んだ奴らが分かってない、カーマイン基地の異常なミーハー過多状況を利用したのよ。ドクター・アラムートがミハイル氏とデートなんて美味しい情報、彼女たちが逃すはずないでしょう?目撃者が大勢いれば、万が一の時助かるわ」
「そうかぁ?事後処理が面倒になるだけじゃねぇの?」
 あったことをなかったことにするのが任務の破壊工作員は不服そうに首を捻る。
「って、ドクター!俺も一緒に行くって!」
 さっさと荷物を持って車へ戻ろうとしている二人を追い駆ける後ろ姿に、大ボケ処置なし、と額へ手を当てたライラも続く。

「なぁ、ドクター!」
「必要ありません」
 蓬莱人の声は、変わらず冷ややかだったが、静かに返された問いに言葉を失う。
「――サラディンに俺は必要ない?」
 返答に詰まったサラディンは、瞼を閉じて軽く唇を噛んだ。追い付いてくる足音。今振り返ればきっと、眼差しに想いがこもるのを止められない。肝心な部分を全て外してくる恐るべきニブチンの癖に、どうして、核心的な部分は決して外さないのか。悔しくて憎らしくて…愛しい。
「今は、必要ありません」
 視線を逸らしたままのサラディンの肩へ、大きな手が置かれる。
「――どうしても今はあんたと離れたくねぇんだ。何でか分かんねぇけど、だから、頼む、サラディン」
 前へ回り込んで両手を合わせ頭を下げる男に、美貌の外科医の唇からは、最早幾度目か分からない溜息が零れた。
「…仕方がありませんね。そこまで仰るなら、同行を許して差し上げましょう」
 案の定、弾かれたように上げられた顔は、美しく輝かしく大らかな笑いを形作っていた。自分が胸に秘めた想いの卑小さを思い知らされるようで、また憎らしい。
 だからつい、呟いてしまう。
「貴方なんか嫌いです。ルシファード」
「へっ?」
 そっぽを向いて歩き出す。少しすっきりした、と感じながら。

*…いやぁ…サラディン、こんなすねちゃう予定なかったんですが、おかしいなぁ。
アクションシーンをもっと入れたかったんだけど…。しかも続きます。こんなに長くなる予定もなかったんですが…予定外だらけ〜。何となくスミマセン。

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