緑眼狂騒曲 〜The Green Eyes Rhapsody〜 6

All rights reserved. 転載利用盗作等禁止。2007,4/30


 柔らかな草地の上に白布を敷いて、昼食と食後のお茶をゆったりと楽しむ。
 おいしい空気に薄曇りの穏やかな日差し。遥かに見渡せる山々。微かな波音と、美しい景色。
 久方振りの優雅な午後に、サラディン・アラムートは満足の息を吐き、カップをソーサーへ戻した。
「悪くない腕ですね、ドクター・クレイヤンクール」
「…俺も、料理は好きなんです。口に合って良かった」
 木の幹に背を預け、長い脚を投げ出して座る彼に、思い人の面影がダブる。
 艶やかな黒髪。襟元から覗く銀の認識票。
 ――ルシファード。今、どうしているだろう?
 私が他の人間と外出した話を、尾ヒレの付いた噂で聞いたら彼は…不快に思うだろうか、それとも…。

 …何とも思われなかったなら、私は、どうすればよいのだろう?

「サラディン」
 ぽん、と肩を叩かれて、サラディンは我へ返った。目の前には、ほんの少し苦く笑った青年が一人。
「俺には分からないな」
 ちょっと悔しげに眉を寄せる。
「なぜオスカーシュタイン大尉は、貴方にそんな表情をさせておくんです?どうして、今、守るべき貴方の傍にいないんですか?」
 語尾が怒りを含んでいる。
「――つい先日まで感情を封印されていた彼には、恋愛感情が理解できないそうです」
 するすると口を突いて出た言葉に、サラディンは自分で驚きながら言葉を繋いだ。
「だから、私のことは好きだけれど、それが愛だの恋だのとは言えない、と――いうことらしいですよ。何れにせよ、彼以外の人間には理解できないことですが…」
 深い深い森を思わせる緑の眼が、しばらくじっとサラディンを見つめていた。それが、ふ、と逸らされ、
「俺、サラディンの傍にいます」
「……」
「当て馬だろうが、退屈しのぎだろうが、好きにして下さい。それなら少しは…寂しくないでしょう?」
 胸を突かれたサラディンは、咄嗟に返す言葉を見つけられず押し黙った。

 人は、一人で居て寂しくない時もあれば、大勢で居ても寂しい時がある。
 ルシファードと出会ってからの私は……久しく忘れていた孤独を、思い出した。

「ありがとうございます…と、言わせたいのですか?不愉快ですね。貴方のような若輩に哀れまれるほど、落ちぶれてはいません」
 しかし、齢227を数える蓬莱人のプライドは、繊細かつ少々複雑だった。
「哀れむなんて、考えられもしない。俺はただ、貴方にそんな顔をさせておくのが嫌だって、それだけですよ」
 ルシファードと似ているのに、白いシャツのよく似合う彼は、気恥ずかしげな表情で立ち上がる。

「俺、貴方の傍にいます」
 まっすぐな、エメラルドの瞳。どこか幼い物言いは、やはり少し、彼に似ている。精神のありようは、全く違うにしても。
 サラディンは溜息を吐いた。
「…私の傍にいるには未熟すぎますよ、ミシェル・クレイヤンクール。もう少し遊び甲斐がないと、真面目なだけじゃ、つまらない」
 ついと立ち上がり、青年に背を向けて水際へ歩き出したサラディンの視界に、対岸の森を越えてくるヘリの機影が映った。
「あれは…山岳救助用の医療ヘリですね。何かあったのでしょうか」
 少し遅れて隣へ来た青年が呟く。ヘリはあまり広くない湖を一直線に横切り、こちらへ向かってくる。
 二人が弾かれたように木の陰へ身を隠すのと、正体不明のヘリが水際5・6メートルの位置でホバリングするのとは、ほぼ同時だった。片側のドアが開いて、レスキュー隊のオレンジの制服に身を包んだ人物が半身を乗り出し、大声で呼ばわる。
「ドクター・アラムートはいらっしゃいますかーッ?!」
 サラディンとミシェルは顔を見合わせ、頷き合う。青年の方が木の陰を出て、レスキュー隊員と思しき人物に声を返した。
「何か、あったんですかッ?」
「近くで滑落事故がありまして、頭部損傷の患者がいます!病院へ問い合わせたら、こちらへおいでだと伺いました。お力を貸して頂けないでしょうかーっ」
 木陰から出てきたサラディンの肩を、ミシェルが押さえるように掴む。プロペラが掻き回す激しい風を受けて、青緑色の髪と緩く広がった衣の裾が宙を舞う。
「患者の容態は?」
「詳しいことは、機内でお話ししますッ!!とりあえず、お乗り下さい!!」
 サラディンは乱れる髪を押さえながら、大型ヘリの方へ歩を踏み出した。その時、


『サラディン!!どこだ――ッ?!』


 大音響…いや、音ではないから大絶叫とでも言うべきか。強烈なテレパシーがサラディンの目を眩ませた。
「……ルシファード?」
 よろめいて地面に膝を突きながら、周囲を見渡すが、もちろんそれらしき人影はない。――いや、なかった。
 静電気のような摩擦音と共に、目前に黒髪の大天使…もとい、悪魔王が突如として降臨する。
 長い黒髪を広げ、2メートルほど上空からふわりと舞い降りたその姿は、まさしく“降臨”と言うに相応しかった。
 あまりのことに呆けているサラディンの前へ跪き、両肩へ手を掛ける。
「大丈夫か?!サラディン」
「え……はい…大丈夫です……」
 テレパシーで異常がないことはすぐ走査できたのだろう。ルシファードは唇の端を少し曲げて苦笑する。
「すまない、驚かせちまったな、ドクター」
 ――ほんの少ししか離れていなかったのに、その低音の懐かしさ。
 ルシファードは立ち上がると、サラディンを挟んで向こうにいる機能訓練士に、一変した冷ややかな声で言った。
「お前、俺の大事なドクターに何するつもりだ?」
 現実の気温が3・4度下がったような鋭い殺気に、我知らず身震いする。
(俺の大事な…って、また無意識に言っているのでしょうね…)
 嬉しくも悲しく悟ってしまうサラディンの目に、ルシファードの長い脚の向こうに見えるヘリ乗員の、怪しげな動きが映る。
「ルシファー…」
 皆まで言う必要なはなかった。
 大型の救難ヘリは、まるで見えない巨人の手で放り投げられたようにぐるりと回転し、2・3転しながら激しい水しぶきと共に湖へ没する。
 サラディンは傍らの美丈夫を見上げた。
 ルシファードの念動力に違いないが、彼はヘリの方など一顧だにしない。
 20万人消して罪悪感のない徹底した人でなしは、ここでも健在だった。しかし、それが自分の身を案じてのことだと思えば、ぞくぞくするほど心地よい。
(私も十分“人でなし”なんでしょうね…)
 病院及び基地関係者が聞いたら、えぇ〜何を今更?な事を恥じらいながら思いつつ、サラディンはゆるりと立ち上がった。
「ルシファード…」
「下がっててくれ、サラディン。こいつに負ける気はしねーが、考えが読めねぇから」
 5・6メートル前方にいるミシェルの髪も、自然の風とは違う方向に怪しく揺らめいている。瞳は発光しているかのように鮮やかな緑色。
「…あんたと手合わせできるなんて光栄だ。ルシファード・オスカーシュタイン」
 青年の声も変わっていた。人当たりの良い好青年らしいものから、どこか深みのある謎めいた声へと。
「――その前に訊きたい。お前、ユルスナールの関係者か?」
「ユルスナール?知らんな。誰のことだ」
「…その顔の遺伝子を持った“あと一人”だよ。俺たち家族以外では、そいつしかいない。だから、とぼけても無駄なんだがな」
 ルシファードがおもむろにスクリーングラスを外すと、黄金に染まった両眼が現れる。その金の眼を細めて笑う。
 凄絶な異形の双眸。
「もしそうならご親戚だ。事情の一つも聴いてみようかと思うが、隠すんならしゃーねーや。サラディンに手を出す奴は俺の敵だ。敵は――」
 悪魔王の右手には、いつの間にか超振動ナイフが握られている。
「消す」
 二人の姿が、サラディンの視界から消えた。

* ユルスナール…『カラワンギ・サーガラ』を読まれた方はご存知で。読んでないと分かりません。ごめんなさい、あしからず。
何だかよく分からない事情で生まれた、お気の毒な方。虐待されたりヤク中だったり。うん、本当に気の毒。
津守先生の作品では珍しく、はっきり「男の愛人」と表現されている人。
と言うわけで、私の持って生まれた(?)しょーもないハッピーエンド性の餌食になってしまいましたのです。
≪Illustrations Top
≪Stories Menu
≪Sect.5
BBS
Sect.7≫
Information≫
Entrance≫