緑眼狂騒曲 〜The Green Eyes Rhapsody〜 5

All rights reserved. 転載利用盗作等禁止。2007,4/27

「サラディン。本当にいいんですか?俺と二人で」
「――おや、もう怖じ気づいたのですか?私の傍にいられるなら何も怖くない――と言った舌の根も乾かぬうちに、情けない」
「まさか。ただあまりの幸運に信じられない気分なだけですよ。…お弁当は和・洋・中、どれがよろしいですか?」
「腹持ちの良さを考えるならやはり和食でしょうが、私のハーブティーとの飲み合わせを考えるとサンドウィッチが無難なところでしょうか。ま、“売店のサンドウィッチ”以上ならば、何でも良いですよ」
 時折ひどく切実に飢えている軍病院医師の、微妙に具体的な話を聞きながら、青年は笑顔で頷く。
「確実にそれ以上の物はご用意できると思いますよ。サラディン。じゃあ、明日の朝――お迎えに上がるのは、八時半頃でよろしいですか?」
「良いでしょう。こんな風に出かけるのは全く、勤続40年で初めてです。少し――楽しみですね」
「ご期待に添えるよう努力します。では、明日」


 静かな湖畔の森の陰から、起きては如何と鳴くは何処の鳥か。
 サファイアを溶かし込んだような水を湛えたその湖は、さざめく葉擦れの音に包まれて静かだった。
 澄んだ空気を自然と深く吸い込んでいたサラディンは、己の日常がいかに非人間的なものであるか改めて気付く。
 鼻を突く薬剤の匂いが僅かも感じられないのは、本当に何年ぶりのことだろう。
「良い所でしょう?」
 振り向いた先で大らかに笑う青年の顔は、思い人とよく似ている。見慣れぬ顔なのに、どこか懐かしく慕わしい、奇妙なデジャヴ。
「――美しい景色ですね」
 つい素直な感想を口にしたサラディンに、いかにもそれらしいバスケットを持った彼は、満足そうに頷いた。
 そして当たり前のようにその大きな掌を差出し――
「こっちです、サラディン」
 サラディンの手を捕り、歩き出す。思わず振り払った蓬莱人は、名匠が描いたような柳眉をひそめる。
「手など引かれなくても歩けます。年寄り扱いしないで下さい」
 一瞬、緑の目を見開いた相手は、少し真顔になって、姫へ傅く騎士のように胸へ手を当てた。
「失礼しました。では、改めて、エスコートさせて頂けますか?ドクター」
「結構です。一人で歩きます――当て馬にしても良いと言ったのは貴方ですよ?勘違いしないで下さい」
 後ろ手に指を組み、先へ立って歩き出す佳人を見送る青年の眼差しは、喩えようもなく優しい。
「もちろんです。けど、この機会に口説けるだけ口説こうと思ったとしても、悪くないでしょう?」
「ええ、悪くはありませんが、一介の機能訓練士が宇宙軍の英雄に太刀打ちできると本気で思っているならそれは、お目出度いと言わざるを得ませんね」
「――肩書きや勲章に左右される玉ですか?貴方が」
 虚を突かれたように振り仰いだ顔の、咲き初めた百合のような瑞々しさ。


「〜〜〜っ!!ドクターったら、なんっって美しいのかしらッ?!もうさすがに見慣れてきたと思っていたけど、今日という今日はまた、この世の者とは到底思えないほどだわよッ?!」
 ――恐ろしさは普段とあまり変わらないけど…とはもちろん口にしない。パーヘヴモードの幻想を打ち砕くような事を言わないのはお約束である。
「本当ね……淡いグリーンに白い羽根模様の浮き上がるあの服…きっと私たちの給料一ヶ月分でも買えないわよ…」
 と、もう一人が溜息を吐けば、
「ドクター・クレイヤンクールの方がオフ・ホワイトから柔らかいクリーム色でほぼ白一色だから、何だかこのまま結婚式ができそうな雰囲気よね!!」
 と双眼鏡を手にした一人が力説する。
 その隣で、超望遠のごっついレンズを装備したカメラを構え、狙撃手よろしく腹這った一人が無言で頷く。
 ドクター・アラムートが聞いたら、歪んだ映像しか映せない腐った眼球なら必要ありませんね私が抜き取って差し上げましょうとか言われそうな会話だったが、自称乙女達の妄想は留まる所を知らない…。
「ちゃんと録音できてる?後で聞いて“ノイズしか録れてません”なんつったら私達、命がないかもよ?」
「大丈夫!!感度良好よ」
 ヘッドフォンをかけた一人がピースマークを作る。


 離れた場所で交わされている会話など知る由もなく、二人の一見美青年は昼食を摂る場所を探して湖の畔をそぞろ歩いていた。
「――中身でなら勝負できると言うのですか?それこそ、思い上がりも甚だしい」
「違いありませんね。まだ見ぬオスカーシュタイン大尉と勝負するしない以前に、貴方へ告白した時点で、身の程知らずと言われるのはしょうがない。それでも…俺は」
 途切れた言葉に、サラディンは振り返る。琥珀色の瞳が、切なげな微笑を映す。
「俺は、貴方が好きなんです。サラディン」

 ――いけない。
 少し、感動してしまった。

 それこそ乙女ではあるまいしと内心自嘲しつつ、サラディンは肩をすくめながら再び背を向ける。
「感動的なくらい青臭い台詞ですねぇ…貴方のそういうところ、悪くはないですが」
「ドクター!」
 ふいに横をすり抜けてサラディンを追い越した青年が、行く手を示す。
「あそこで食事にしましょう」
 当たり前のように捕られた手を引かれても、今度は振り解かなかった。齢227にしてこんな風に拙い恋の真似事をするのも、悪くはないかと思われたので。


* ぐああ、5月のウィングスに鴉は載らないのかーッ!!<(TдT)>。
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