緑眼狂騒曲 〜The Green Eyes Rhapsody〜 4

All rights reserved. 転載利用盗作等禁止。2007,4/14

 ライラはもちろん、外科主任室を訪れるのは初めてだった。
 そこは、兵士達の間でおどろおどろしく噂されているのとは違い、明るく整頓された空間だった。さすがに事務机の上には書類やディスクが積み重ねられてい たが、書棚へ納められたファイル類はきちんとインデックスが貼られ、見苦しくなく整理されている。情報がとことんデジタル化されていっても、軍や病院など 個人情報の取り扱いや機密性の高い仕事になるほど、紙の文書と縁が切れないのは皮肉と言えた。
 そして、ルシファードから聞いていた通り、衝立の向こうは異空間だった。美術工芸品と見紛う調度類に、ライラも思わず溜息を漏らす。
「どうぞお掛け下さい、ライラ。今お茶の準備をします。ミシェルもどうぞ」
「あ、お手伝いします、ドクター」
 青年に先を越され、ライラは仕方なく、海鳥の飛び交う長椅子へ腰を下ろした。
 “まるで持ち主そのもの”とルシファードは表現していたが、なるほど。青い繻子張りの座面を撫でながら、至極納得する。
「お待たせしました」
 テーブルや椅子に施された細工に見惚れていると、盆を持った青年を従え、サラディンが戻って来た。青年は、いかにも不慣れな覚束ない手つきで青磁の茶器をライラの前へ置こうとしたが、案の定、手を滑らせて茶器は弾み、中身が机の上へ散った。
「すみません…!」
「いいわ、自分で…」
 青年の手から台拭きを取ろうとしたライラの動きが止まる。一瞬、周囲の全てが白く飛んだような錯覚に襲われ――…

「――自分で拭くわ。ありがとう」
 数秒の間を置いて、ライラは動きを取り戻した。向かいの丸椅子に腰掛けた外科医師は、少しぎくしゃくとしたその様子を、静かに見つめている。
「申し訳ありません。…何かと手際が悪いもので」
 ライラのすぐ側で、親友によく似た美貌が笑っていた。



 バーミリオン星、カーマイン基地の軍病院は、騒然としていた。
 遺憾ながら、大事故が起こって患者が押し寄せた――とかいう真面目な理由ではない。実に不真面目な――しかしある意味人間にとってより根源的な問題――恋愛とゴシップに関する重大事件が発生したのである。
「ええっ、嘘でしょ?!」
「それが、本当なのよ。私も自分の目を疑ったんだけど…」
 話しかけていたナースが慌てて口を噤む。もちろん、噂というのは本人の姿がある場所ですべきものではない。
「ドクター・アラムート…」
「…無駄話をできるほど仲がよいのは大変結構ですが、その間、医局の誰かがしわ寄せを食らっていることをお考えなさい。貴女たちが噂話に花を咲かせようと枯らそうと、私の残業時間が減るわけではないと分かっていても、多少不愉快ではありますね」
 高い位置から睥睨する、縦長の瞳孔を持つ琥珀色の双眸。その美しさに魅了されつつも、地球人は無意識の底深くから湧き出す恐怖と嫌悪に身をすくませる。
 外宇宙探査基地への併合を前に、軍病院の外来患者は異様に増えた状態が続いていた。仕事中の無駄話をかなり辛辣な口調で咎められたナース二人は、人間嫌 いだが完璧主義でプライドが高くしかもかなりのワーカーホリックである外科主任医師は今日も昼休みをろくに取れなかったに違いない、と目顔で頷き合った。
「申し訳ありません、ドクター・アラムート!」
 ユニゾンで頭を下げたナース達に少し表情を緩めながら、「早く仕事へお戻りなさい」と促したサラディンは、そういえば、と付け加える。
「ドクター・クレイヤンクールを見かけませんでしたか?こちらへ来るはずなのですが」
 ――もしここが暗闇だったなら、ナース達の両眼が、決して上品とは言えない強い光を発したのを見られたかもしれない…。
「いいえ!…あの、ドクターに行き会ったらなんと申し上げればよろしいですか?」
「私は医局に居ますから、そちらへ来るように、と。まぁ、彼は分かっていると思いますけれど」
 白衣の裾を翻し、優雅に去る後ろ姿に、妄想モードの頭を抱えたナース達は、声なき悲鳴を上げていた。

* ぐああ、5月のウィングスに鴉は載らないのかーッ!!<(TдT)>。
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