緑眼狂騒曲 〜The Green Eyes Rhapsody〜 3

All rights reserved. 転載利用盗作等禁止。2007,4/1.


 ――おかしい。どうにも、妙だ。
 食事を半分ほど終えたサラディンは、目前で起こった変化に戸惑っていた。
 ――ありえない。彼はこんなに美しかった…わけがない。
 平均よりハンサムなだけの青年が、変貌を遂げていた。顔立ちや何かが変わった訳でもないのに、今はまるで別人に見える。
「どうしたんですか?ドクター」
 前に座る青年は、怪訝そうに眉を寄せる。
 いつも通りに聞こえるその声に、肌がそそけ立つ。激しい危機感を覚え、サラディンは立ち上がった。
「ドクター?」
「――私に何をしました?」
 吊られるように腰を上げた彼が伸ばした手を、反射的に振り払った瞬間、息を呑む。
「…サラディン?……大丈夫ですか?」
 よろめいた身体を机で支えながら、口元へ手を当てる。
 一秒にも満たない接触で強引に流し込まれた情報の多量さに、吐き気がしていた。
「ドクター…」
「触らないで下さい」
 介抱するように再び伸ばされた手を、今度は空中で制し、サラディンは椅子へ座り直す。
「大丈夫です。少し…目眩がしました」
「――働き過ぎで、お疲れなんだと思います。…すみません。強引にご一緒してしまって」
 一見殊勝な態度の相手に、蓬莱人は見るモノが凍りつくような視線を投げる。ともあれ、既に食事する気力は無くなっていた。サラディンは腹立たしさを抑えながら、ミシェルと名乗ったその青年へ渋々と向き直った。
「――本当に、気分が悪い。病棟へ戻ります。ご同行願いましょうか。ミシェル・クレイヤンクール?」
 事と次第によっては、そのまま貴方が外科のご厄介になると思いますが。
「はい。…エスコートさせて頂きます。ドクター」
 青年は、整った顔に薄い笑みを浮かべ、頷いた。


 ドクター・サイコが体調を崩し、あろうことか熱烈求婚中の青年に付き添われ、二人きりで病室へ入った、という噂は、さながら神経伝達の如き早さで基地中を駆け巡った。
 某大尉は当然知る由もないが、基地関係者の大半は、勇気ある機能訓練士の青年を応援している。
 それはもちろん、サラディンがルシファードから離れれば、少なくともちょっかいをかけることは可能になるからであって、かの英雄に常人が対抗できる可能性は限りなく低いと知りつつも、人とは夢見ることを止められない生き物だった。
 二つのルート――通信科のメリッサと軍病院の白氏――からほぼ同時に情報を受け取ったライラ・キムは、自分に突然与えられた奇妙な任務との関係を考える。
 O2から渡されたディスクには、先頃ルシファードが“消して”しまった流民街マフィアの残党に関する情報が入れられていた。その指し示すところを読むと、どうやら情報部の工作で、それら残党を再び集めて一斉検挙する計画が進行中らしいと言うことだった。
(何かありそうだわね…とにかく、あの馬鹿の馬鹿な行動にドクターが関係しているのは間違いないんだから、彼の行動を押さえておく必要があるわ)
 夕暮れの道を軍病院へと急ぎながら、実際には会ったことのないその求婚者のデータを思い返す。
 そして、ふと、足を止めた。

 カジャも、看護士達の盗み撮り映像は見たが、実際に会ったことはないと言っていた。
 自分たちはこの基地中で最もサラディンに近いはずなのに、これは、少しおかしくないだろうか。

 サラディン達がいるという病室の扉が開くと、激闘のジャンケンを征して案内役を勝ち取った看護婦が、悲鳴とも歓声ともつかぬ声を上げる。
 黄昏に包まれた室内では、ベッドに並んで座った青年と美貌の医師が手を取り合い、無言で見つめ合っていた。
 さすがのライラも一瞬声をかけあぐねていると、事前に携帯端末で訪問の連絡を受けていた医師は戸惑う様子もなく、繋いだ手を解いて立ち上がり、優雅に招き入れる。
「ご心配おかけしてすみません、ライラ。もう大丈夫です。お礼とお詫びに、主任室でお茶でもお淹れしましょう。お時間があれば…ですが」
「あ…ええ、はい」
 外科医師の目配せで、黒髪の青年も立ち上がる。
「貴女が会うのは初めてですね?…機能訓練士のミシェル・クレイヤンクールです。色々と噂になっていますから、名前くらいはご存知でしょうけれど」
 ハンサムな機能訓練士は、爽やかさのある魅力的な笑顔を見せて右手を差し出した。
「初めまして、マム。お会いできて光栄です」
「初めまして。ライラ・キムです」
 出された手を握りながら、ライラは胸に奇妙な違和感を抱く。
 黒髪。印象的な緑の目。一般的なレベルではあるが、文句なくハンサムな顔立ち。
――ルシファに似ている?いいえ、美男子だけれど、似ているとは言えないわ…。
 それなのに、不思議と重なるイメージ。
 沈みかけたライラの思考を、少し頓狂なサラディンの声が掻き乱した。手が離れる。
「カジャ?貴方まで、こんな所で一体何をしているんですか」
「鬼の霍乱を見物しに来たに決まっているだろう。とうとう老衰でお迎えが来たのかと思ったが、残念だな。今際の際に美しく花吹雪を撒いてやろうかと思ったのに」
 開いた戸口で白衣のポケットに両手を入れ、仁王立ちした一見美少年は、ふんと鼻を鳴らす。
「お気遣い感謝しますが、総白髪の老人坊やに先立つつもりはありませんよ。貴方が亡くなられたら、私が友情を込めて念入りに解剖して差し上げましょう。念入りに
 戸口の陰や廊下で聞き耳を立てていた職員や患者が密かに震え上がる。
「そうか。では、私にもしもの事があっても、死体に飢えたマッドサイエンティストなどに絶対遺体を渡さぬよう、ライラとルシファードへよく頼んでおくとしよう。それより、この男に惚れているという悪趣味は君か?」
 カジャはミシェルの方へ向き直り、頭から爪先までを検分するように眺め回した。
「…まず眼科へ行って検査を受けるようお勧めするよ。蓼食う虫も好き好きと言うが、何もトリカブトに食らいつくことはあるまい。君が解毒酵素を持っているというなら別だが?」
 ミシェルは驚いた表情で頭を振る。
「とんでもない。確かに僕はドクターと比較したら虫かも知れませんが、喩えるなら、希少な青バラの芳香に酔い痴れている蟋蟀のような者だと思います。…ずっとドクターのお傍にいたい。ただ、それだけなんです」
 紛れもない誠実さの込められた言葉に、カジャも返す言葉を無くして押し黙る。廊下のあちこちから「ほぅ」とか「まぁ」という感嘆符が漏れた。
「――恋は盲目、と言うが…幸福の定義は人それぞれだからな。私としては、ある意味君がそのまま一生目を覚まさないでいられることを祈るよ」
「はい。ありがとうございます」
 瞳を輝かせているミシェルの肩へ手を置き、サラディンがカジャへ話しかける。
「もういいでしょう。カジャ、貴方も私たちと一緒に主任室でお茶を召し上がりますか?」
 少年らしい細さのある肩をすくめて、内科主任は溜息を吐いた。
「そうしたいのは山々だが、急ぎの仕事を残して来ている。君が病室に例の男を連れ込んだ――とナース達が騒いで仕事にならないから、わざわざ私が出張ってきたんだ。状況は確認したから、もういい。失礼するよ」
 踵を返したカジャに軽く腕を叩かれ、ライラは我へ帰った。
『サラの様子が少し変だ。あの男…上手く言えないが、何か奇妙な感じがする。君に可能な範囲でいいから、様子を見てみてくれないか?ライラ』
『ええ。そのつもりです、カジャ』
『ありがとう。じゃあ、また』
 接触テレパスを通した会話はほんの一瞬で終わり、カジャの後姿を自動ドアが隠した。

* ああ早く5月にならないかなぁ〜。
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