緑眼狂騒曲 〜The Green Eyes Rhapsody〜 10

All rights reserved. 転載利用盗作等禁止。2007,6/9

 サラディンは迷っていた。
 普段なら迷わないし、迷う筈もないことなのだが――。
 一体、どうしたものだろう?

「…お加減は如何ですか?」
 新鮮な草花の香りと、真昼なのにどこか夜の静謐さが漂う病室で、窓辺に佇んでいた小柄な影が振り向く。
「今日は大分良いです、ドクター」
 少女は痛々しいほど細い首を傾げ、にこっ、と愛らしい笑 みを浮かべた。
 茶飲み友達のそれとよく似た、オレンジ色の大きな瞳。ベリー・ショートにした白い髪。肌の色だけは違う、病人らしい血色の悪さを示す、くすんだ褐色。
「それは良かった。歩いていて大丈夫というのは、嬉しい事ですね」
 外科医は珍しく本気で優しい言葉を掛ける。体型も色彩も似ているのに、中身が違うとこうも変わるものなのか。毒をまぶした綿菓子の如き友人には延 々 と嫌味 を吐けるが、白いマーガレットと橙色のデイジーを花束にしたような少女には、滅多に発動しない優しさが自然発揮されるらしい。
「今日はミハイルはもう来ましたか?」
「いいえ。兄は仕事が終わってから、ここで夕食を摂るんです。それから、また仕事へ戻ったり帰宅したり…」
 華奢な外見に良く合う、鈴を振るような声と丁寧な言葉使いに、医師は目を細める。
「本当に仲の良いご兄妹ですね。羨ましい」
 家族を持たぬ蓬莱人の言葉に、少女の笑みは少し寂しげなものへ変わる。
「私が一方的に迷惑を掛けてしまっているので、辛いですけど…本当に良い兄です。でも」
 少女はそこで、まじまじとサラディンを見つめた。
「先生のような方がこの世にいらして、兄が恋に落ちるなんて、驚きました」
 いささかの嫌悪も含まれないストレートな物言いに、外科医師は目を瞬く。
「兄は多分、先生の力強さが好きなんだと思います。物心ついた時から私といて、明日どうなるか分からない、不安定な健康状態に付き合い続けてきたから…。 先生は、とてもとても強くてお綺麗ですもの」
 土気色をした小さな顔に、きらきらと輝く大きな目。
 あまりに真っ直ぐな賛辞を捧げられたサラディンは、少し躊躇いがちに微笑んだ。
「――ありがとうございます。ラファエル、あなたは………」
 “神の癒し手”という天使の名を与えられた少女は、皮肉にも、誰を癒すことも癒されることもなく、その生涯を終えようとしている。
 ただ、赤子のように純粋な魂だけを持って。
 元来この上なくロマンチストである医師は、純粋な賞賛のみを込めて見上げる眼差しに、惑った。
 ミハイルと、ラファエル。彼らは知っているのだ。蓬莱人の血が、どのような効果をもたらすものなのかを。
 知った上で、求めない。
 ――欲しくないわけではないだろう。むしろ渇望しているはずだ。迫りくる死と苦しみから、愛するものを救える可能性のある特効薬が目の前にあるのだ。
 しかし彼らはそんな想いを欠片も出さず、ただ一日一日を静かに、柔らかく、繊細な感受性で捉えた溢れるような輝きの中に過ごしている。

 ――人間は、面白い。“狩る者”たちと彼らは同じ、人類なのだ。

 生きるも死ぬも、天に昇るも地へ落ちるも己の思うまま。それはなんと、自由であることか。
 だから、サラディンは迷っていた。そして結局、外科医師は自称する通り、我侭でエゴイストなのだった。
 

 出迎えの友人達の群れに心酔している外科医の姿がないことを知ったルシファードは、長くない人生の中で五指に入るほど、かなり激しく落胆していた。
 しかし同時に、理性は安堵している。何しろ、強烈な禁断症状の只中である。彼の姿を見た途端、人目も憚らず不埒な振る舞いに及んでしまわぬとも限らな い。ことサラディンに関わることとなると、自分の行動を保証できない――って、ちょっと誰かさんの行動パターンと似ているんじゃないか?おい。
 ルシファードの頭の中で、銀髪の男が不敵に笑う。
 いやんな連想を追い払うように頭を振って、オレンジの瞳の愛玩系小動物を見下ろした。
「そっか、担当患者の容態が危ないんじゃ、しゃーねーよな。ベン。あんたも忙しいのに来てもらってすまねぇ」
 わしわし、と大きな手で頭を撫でられ、齢150の内科主任は憮然とする。
「お前のウサギと一緒にするなと、何度――…もういい、お前のような鳥頭には、言うだけ無駄だと悟るべきだな。私はただ出迎えに来たわけではないぞ、ルシ ファード。その担当患者が、お前の親戚筋だという例の娘なんだ。私も診察させてもらったが……正直なところ、先天的なもので手の施しようがなかった」
 カジャは愛らしい美少年顔を、妙に年寄りじみた仕草で顰める。
 全ての臓器が徐々に破壊され、じわじわと機能を低下させていく――
 硫酸を掛けたように溶けて炭化してしまうため、日の光に身体を晒すこともできず、まるで伝承の吸血鬼か魔物のように夜を生きる少女は、異種族間の婚姻に よって生まれた“混血児”の不幸な一例だった。
「それにしても、驚いたぞ。ああ、お前はまだ会っていないのだったか?彼女に」
「うん。ちょうど俺が『冥界の王妃』号へ乗り込むのと入れ違いになったから。親戚筋たって、実際に血の繋がりがあるわけじゃねぇんだけど。…何に驚いたん だ?ベン」
 ふわふわした髪の感触を楽しんでいるらしい男の手を振り払い、答える。
「…彼女らの母親は、白氏族だ。ミハイルの方には全く現れていなかったから気付かなかったが、彼女は逆に完全に我々の外見的特徴を備えている」
 黒髪の男は無表情なまま、あっさり応じた。
「ああ、そうみたいだな。以前読み取ったミハイルの記憶に、彼女の顔もあったから…あの目と髪の色は、そうだろうと思ってた。ベンの知り合いか?」
「いや、名前を聞いても知らなかった。…普通に年をとる人だったようだからな。しかも、種族的束縛を嫌って出奔したという話だから、接点がなくともおかし くはない」
「ふ〜ん、そうか。それでユルスナールと出会って…」
 恋に落ちたわけか。
「……何か、因縁だなぁ」
 マリリアードと、そのクローンであるユルスナール。数奇、としか言いようのない運命を辿った二人の子どもが、こんな銀河系の端っこの星で邂逅を果たそう とは。しかも、こんな形で。
「そっか。じゃ、基地司令官殿に任務の報告が終わり次第、病院へ行くよ」
 数奇だろうが悲劇だろうが、今まで何の縁もなかった「親戚筋」に共感したり同情するような繊細さは、当然ルシファードの範疇でない。何より優先して彼の 胸にあったのは、同じ場所に拘束されているであろう外科医師の姿、それのみだった。


 狭い室内に備えられた旧式の冷凍睡眠装置のようなカプセルから発する青い光を受け、サラディンは佇んでいた。
「よう、ドクター。…ただいま」
 振り向いた医師がにっこりと微笑む。視覚の快さに歓喜しながらルシファードが近付いたカプセルの中には、等身大のビスクドールが横たわって いた。
 白い病衣に似た服をまとい、安らかに目を閉じる“彼女”は本当に人形のようで、呼吸している気配すらない。
「…死んじゃいないよ。――仮死状態だが」
 サラディンの隣のパイプ椅子に腰掛けたミハイルが、陽気とは言い難い静かな声で呟く。機器の発する微かなモーター音以外に音のない部屋で、それは大きく 響いた。
 ルシファードは、一度敵として認識してしまった所為か、何となく存在自体が不快な相手を振り向かず、カプセルの方を向いたまま訊く。
「カジャからは、危篤状態だって聞いたんだけど。…これ、低体温維持装置だろ?頭部損傷用の」
 たまたまごく最近、同種の装置を見て知っていた。
「危篤…と言えば、確かにそうでしょうね。仮死状態ですから」
「――どういうコト?」
 紫外線防御用の眼鏡を軽く直したサラディンは、縦長の瞳孔を宇宙軍の英雄へ向けた。
「私の血を、彼女へ与えました。今日で三日目――結果はまだ、分かりません」
 琥珀色の眼差しを受け止めた、スクリーングラス越しの目が見開かれる。

「ああ、そう」

 応える自分の声が、どこか遠く聞こえた。

 ――ワタシノちヲ、カノジョヘアタエマシタ…。

 サラディンの声が、脳の中で反響している。

 意味は分かる。それを得た人間は、不老不死に近くなると言う、蓬莱人の血。故に、サラディンは生まれる前から『狩る者』達に狙われる運命を負っていた。 死に瀕した病人に投与すれば、特効薬となり得る。

 にしても、サラディンが自らそれを誰かへ投与する気になるとは、俄に信じがたい。
「…………あんたが、決めたのか?」
「当然です。一応、言っておきますが、ミハイルやラファエルから要望があったわけではありませんよ?むしろ二人からは辞退されたのですが――主治医は私で すから、最善を尽くさせて頂きたいとお願いしました」

「…ああ、そう」

 ――この気持ちは一体、何だ?
 白い闇。胸の内に仕舞い込まれた箱の蓋が、開く。

 静寂を引き裂くようなけたたましい音を立てて、ルシファードの携帯端末が鳴った。ほとんど無意識の動作でイヤホンを当てた耳に、かなり切迫したボーイ・ ソプラノが響く。
『ルシファード、一体何が起こっているんだ?!このままではO2顔負けの精神災害になるぞ、落ち着けっ、馬鹿者』
「――ベン?」
『一体どうしたんだ?!…くそっ、こら婦長、しっかりしろ――おい、何なんだこの精神波はっ!』
「分かんねぇよ、俺が何――」
『正気に戻れ馬鹿者ッ!!今お前は、訳の分からんとにかく強力な負の精神波を猛烈に放出してるんだ!!このままじゃ人死にが……くっ、サラ!サラはそこに いるのか?!』
「サラディンなら目の前――」
『代われっ!!』
 凄まじい勢いで命令され、目をぱちくりさせたままのルシファードは、同じくきょとんとした顔の外科医師へイヤホンを差し出した。
「…カジャ?………いえ、はい。…大丈夫ですが……はぁ?一体何を………分かりました。分かりましたから」
 きゃんきゃんと鳴く子犬のような声が微かに外へ漏れ出している。眉をひそめて耳を離した医師は、思い切り訝しげな表情を浮かべてそれを返し、眼鏡を外 す。そのまま、

「…っ?!?!?!」

 少々強引にルシファードを引き寄せ、唇を重ねた。
 目を開いたまま、訳が分からない、という色を隠しもせず交わされた口付けは、次第に柔らかさと深さを増して、気付くと濃厚なものに変わっていた。同時に 奇妙な違和感が消え、現実感が戻って来ている。
 少し苦しげに継がれるサラディンの吐息。
 ――そぉいや俺、禁断症状出てる最中だったっけ…。
 文字通り貪るように求めている自分に気付き、やばいと思うけれど止められない。
 やばいぞやばいぞやばい…。

「いーかげんにしろよこの馬鹿助」
 低く地を這うような声が聞こえた。我へ返ったルシファードは、慌ててサラディンから身を離す。パイプ椅子に座った彼が、物凄く不機嫌そうに上目遣いの睨 みを利かせていた。

 名工が磨き上げたような輝きを放つ――緑眼グリーン・アイズ

「この馬鹿ッたれ。“あんたの縁者だからこそ”サラディンが与えてくれた奇蹟なのに、なにトチ狂ってんだ阿呆」
 外科医に恋する理学療法士は、憤懣やる方ないといった口調で吐き捨てる。
「ミハイル。まだ、奇蹟になるかどうか、分からないと言ったはずですよ」
 桃色に頬を染めたサラディンは、胸ポケットから出した眼鏡をかけ直す。

 ――ピッ――ピッ……

 まるでその時を見計らったように、小さな電子音が鳴り始めた。椅子を倒さん勢いで立ち上がったミハイルは一転、喜びを抑えきれない声で呟く。
「…お目覚め、だな」
 ガラスの棺に納められた眠り姫は、白い瞼をゆっくりと開いた。


*…終了!!!!!!読了ありがとう ございました!!感謝です!!…お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、タイトルは、“a green eye”(嫉妬深い目つき)とミハイルの“緑眼”、それからルシファの壮絶なヤキモチをかけてみました。拙い文章にお付き合い頂き、本当にありがとうござ います。v(^-^)v
≪Illustrations Top
≪Stories Menu
≪Sect.9
BBS
後記≫
Information≫
Entrance≫