の あ とさ き  -10-

(C)2007 AmanoUzume.
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2007,11/27,Thu

 藍色の空を、白い ファーの帽子 が舞う。

 天地が二回ほど 廻ってから着地 したサラディンの頭脳は既に“彼”が来たのだと悟っていた。白煙――ではなく、吹き飛ばされた氷の粒子が、周囲を白く覆っている。

 ぞわ、と戦い慣れ ている蓬莱人 の背筋を悪寒が走った。白く不可視な空間の向こうに、濃厚な殺気が渦巻いている。

「ミーシャ」

 自分を庇って立つ 男の前へ、逆 に腕を広げたサラディンは、白い闇を睨みながら囁いた。

「いけない。彼はあ なたを殺す気 だ」

「元より覚悟の上で す」

「馬鹿を言わない で。あなたは私 が守ります。――私の背後から離れないように」

 風が白煙を晴ら し、視界が開け た。白い大地に直径10mほどのクレーターが大きく抉れ、中心点から四方へ深々とした亀裂が幾つも走ってい る。

 その中心点に黒い 人影が――い る、と認識した次の瞬間、白かった視界は真黒くなっていた。横薙ぎに薙いだ爪の先で暗闇の欠片が散る。ルシファードの黒髪が。

「サラディン!―― くっ」

 ミハイルの緊迫し た叫び声と、 飛び退る気配が同時に伝わってくる。そちらを振り返る暇もなく、金属と似た音を立ててサラディンの爪が砕けた。鋼鉄すら切り裂く金剛石の強度も、念動力の 前には薄氷より脆い。次を伸ばすより早く、唐突に身体中がぴんと張詰め、成す術なく襲いかかる漆黒に飲み込まれた。

「サラディン!」

 再び聞こえたミハ イルの声に、 サラディンは答えることが出来なかった。ルシファードの広い肩へ苦しいほど押し付けられて。

 

 抱き締められてい る。

 

――ルシファード・ オスカーシュ タインがサラディン・アラムートを再びその腕中に掻き抱いた時、バーミリオンを出て既に二ヶ月余りが経過していた。

 

 数秒、その温かさ に呆然となっ たものの、即座に気を取り直した蓬莱人は、何とか身体の自由を取り戻そうと足掻きながら叫ぶ。

「ルシファード!ミ ハイルを殺し たら、赦しませんよ?!

「あいつがあんたの 一番?」

 耳元で囁かれた声 は、低く静か に――内臓から凍りつくような冷気を含んでいた。

 これは、以前にも 聞いたことが ある。捕えられたサラディンを救出する際、ブラッディ・レスを殺した時の、彼の声。あまりの冷ややかさに、常人なら文字通り凍りついて返す言葉を失うだろ う。が、227歳+蓬莱人+外科医の精神力は、その程度で二の句が継げなくなるほどヤワくはない。呼吸もままならない圧迫感の 中で、めら、と腹の底に燃え上がった焔の勢いそのままに声を出した。

「――お間抜けな質 問するんじゃ ない、この天然大馬鹿スットコドッコイ!!!!

 手足の自由が利か ず、逞しい胸 を思い切り叩けないのが悔しい。

「私は、あなたを ――…そんなあ なただから、だから、私は―――…っ」

 だから。

 滑稽なくらい好き になった。道 化のように報われない情けなさに呆れ果てて、離れた。

 

 幼子のように眠る ルシファード を見つめて、

 綾香の傍で同じ様 に眠っていた 自分を思い出した。

 もし彼女が長命種 だったとして も、

 自分は彼女を“伴 侶”にはしな かっただろう。

 そう思ったとき、 ルシファード も同じかもしれないと気付いた。

 100年、 いや200年経ったとしても、

 私は彼の“恋愛対 象”には成り 得ないのかもしれない。

 彼らの両親と同 じ、常軌を逸し た『親友』で終わるのかもしれない――と。

 そんな、宇宙を壊 しても構わな いと言い切れるほどの愛情を手にしながら、

 それで良しと出来 ない己の恋情 の貪欲さに、

 絶望した。

 だから。

 ふ、と身体が軽く なる。体重が 消失する感覚。

 フリーフォール・ ジェットコー スターに乗ったような――無重力。

 漸く腕が少し緩め られて、酸欠 になりかけていたサラディンは荒い息を吐いた。周囲は相変わらず黒、黒、黒一色。辺りを見回す間もなく頭を引き寄せられ、唇を塞がれる。

 戯れや駆け引きの 一切ない、熱 烈な、狂おしいほどの口付け。

 深く、深く奪われ るような、同 時に与えられているような。

 翻弄され酔わされ ながら、サラ ディンは益々悲しくて悔しくなった。こんな抱擁一つ、キス一つで自分は、流され、引き戻されてしまうのだろうか。あの、遣る瀬の無い日々に?

 ――嫌だ。

 もがこうにも、相 変わらず身体 は拘束され、指一本動かせない。数秒思案し、傍若無人に動き回る柔らかな肉へ、思い切り歯を立てた。

 口中に広がる鉄の 味と一緒にル シファードの身体がぴくりと動き、僅かに唇が離される。サラディンを押さえつけていた拘束も少し緩み、その隙を逃さず、蓬莱人は伸ばした爪を振るい――

 開放された彼は、 そこが何処で あるかを知り、滅多にないパニック状態へ陥った。

 

 ルシファードの肩 越し、青白く 輝く惑星が見える。周囲を包むのは、怖いほど無数に散りばめられた、瞬かない星影。

 

「――○×△□〜ッ?!?!?!

 声なき悲鳴を上げ てもがくサラ ディンを引き寄せ、再び身体ごと包み込んだルシファードは低く呟いた。

「…ごめん、移動す る」

 またぐるりと天地 が廻る。戻っ て来た重力と、腰の下には固い床の感触。けれど、どうやら室外ではない。跳ね返った心臓は頓狂な脈を乱打している。反射的に黒ジャケットの胸へしがみつい た指は震え、身体中の関節が笑っている。

「サラディン……ご めん、もう大 丈夫だから」

 大きな掌が背を撫 でる。ひどく 忙しい自分の呼吸音を聞きながら、固く閉じた瞼を開く事もできない。

 ――それから、ど れほどの時が 経っただろうか。

 早鐘のような脈が 漸く正常値に 近付き、サラディンは少しずつ呼吸を整えながら、握り締めていた指をそろそろと解いた。広い胸を押し退けるようにして、恐る恐る顔を上げる。

 まだ、周囲は暗 い。何処なのだ ろう、ここは?

 星がまた見え、恐 怖に身を竦ま せた。

「大丈夫。最近廃棄 されたステー ション内の一室だ。――驚かせてごめん、サラディン」

 心地良い低音が、 優しく告げ る。まだ関節各部は笑っていたが、227歳の蓬莱人は気丈に掠れ声を搾り出した。

「……無茶苦茶、で す。乱暴と言 うにも、程がある」

 生身で宇宙空間へ 放り出されて 無事だった理屈が、動転している頭には分からない。

「うん、ごめん。あ んたがいると 思ったら、全然、コントロール効かなかった」

「そんな言い訳 が……通用する と、思っているのですか?」

 努めて感情を排し た冷ややかな 口調で詰問する。

「だってホントに。 効かねぇん だ、今も」

 ざわざわと蠢き絡 み付いてくる 黒髪が、彼の台詞を体現していた。全身を拘束され指一本動かせなかったのはこの所為かと合点する。

「……○× △ッ!!!ホラー映画 ですかこれはっ!気持ち悪いからやめて下さい!!」

「――離したくねぇ んだから しょーがないじゃん」

 開き直ったような 少々乱暴な声 色に、はっと顔を上げたサラディンは、そこに黄金の双眸を認めて息を呑んだ。瞳孔までも金色に染まった異形の眼。これも確か、以前見た。

 ブラッディ・レス の心臓を握り 潰し、20万の人間を一瞬で消し去った彼の――そう、無表情に怒り狂っている、顔。

 鳥肌が立つ。しか し、それで怖 気づくようなサラディン・アラムートではない。奥歯を噛み締め、毅然と顎を上げた。

「子ども振るのもい い加減になさ い、ルシファード。私があなたの傍を離れた意味、分からない訳ではないでしょう?」

 硬い声で問われ、 黄金の双眸が 明滅する。

「――俺を見限っ たってコト?け ど、俺の一番はあんたのままだ。サラディン。俺はあんたが大好きで大切で、ずっと一緒にいたい。あんたの一番が俺なら嬉しいし、俺以外の一番を作られると 思うと、すげぇムカつく。どうしてそんじゃダメなのか、俺を捨てる前に教えてくれ、ドクター」

 情熱的な内容に比 して抑揚に乏 しい彼の声を聞き終えたサラディンは、思わず目を閉じて自分の内に答えを探した。愛しい人の体温を肌で感じながら冷静に考えるのは難しい。彼の髪の一本、 血の一滴まで全て己のモノにしたいという、凶暴な渇望が頭をもたげる。縦長の瞳孔を持つ瞳は、恐らく紅に染まっているだろう。強烈な衝動を強力な理性で押 さえつけながら、静かに語りかける。

「……私には、あな たに世界がど う見えているのか、理解できません。だから、どうしてダメかと問われても、正直分からないのですが…。けれど、おそらくは――」

――三千世界の鴉を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい……

「そう、思うことが あるか、どう か。…如何ですか?ルシファード」

 ずっと触れ合っ て、肌を重ね て、一時も離れたくない。あなた以外の世界なんて、なくていい。

 そんな風に、それ こそ一時で も、想うことがあるなら、切なく願うことがあるならば。

 かつて彼は、そん な妄執めいた 感情など全く理解できないし、あまつさえ、鬱陶しいと言い切った。もしその気持ちが、今も変わらなければ――

 

「俺、今まさにそー ゆー気分なん だけど?ドクター」

 目をしばたたくサ ラディンの前 で、トレードマークのスクリーン・グラスをしていない奇蹟の造形が、ゆらりと笑う。

「今此処で、あんた 以外の全部を 消しちまってもいい。つーか、そうしちゃおっかなって気分」

 

 信じられないほど 軽く。

 罪悪感の欠片もな く。

 冷淡という感想す ら差し挟む余 地なく無感動に。

 実行可能な事実と して、

 悪魔王は言い切っ た。

 

 きっとそれが彼 の、“愛”の形 なのだろうと、サラディンはふいに悟る。

 ルシファードは、 言葉通り、私 を大好きで、大切で――けれど、私たちのベクトルが交差する瞬間は、200年経っても訪れないのではないか、と。

 あの夜、胸を過 ぎった、予感。

 

「――ダメ、です ね」

 サラディンは苦笑 し肩をすくめた。きっと、瞳の紅はもう消えている。

「ルシファード。私 は――言った はずです。あなたに、恋していると」

「…ッ!」

 力を取り戻した手 刀の一閃で、 悪魔王の腕から逃れたサラディンは、数メートルの距離を置いて対峙する。

「私はね……あなた と、朝寝がし たいんです」

 男の、年長者の、 蓬莱人のプラ イドも何もかも全部――捨ててしまったはずなのに、それを口にするのはひどく切なく、情けない心持がした。

「けれど、あなたは 違う。――そ れだけのこと……それだけのこと、です」

「あのさ、ドク ター」

 決定的な別れの言 葉を続けよう としていたサラディンを遮るように、ルシファードは妙に滑舌よく切り出した。

「俺、今言ったじゃ ん。“ちょう どそーゆー気分”だって。ええと、だからそれは三千世界の鴉を殺す部分もそーなんだけどさ、朝寝っちゅートコにも該当する部分があるんじゃないかと思うわ けでありまして」

 …またこの男は、 奇妙な言い回 しで一体何を?

「――どういうこと ですか?」

 ルシファードは逡 巡した挙句、 頬を掻き、妙に申し訳なさそうな態度で口を開いた。

「ええとー…あんた の追っかけ始 める前に言われたんだ、親父に。例の世界で一番大切な親友が女の身体になっても、特にそのナニしたいとか思わなかった、てさ」

 この台詞を当の情 報部部長が聞 いていたら、即座に『私はそんな露骨な言い方はしていないぞ坊や』とツッコミを入れただろう。

 サラディンは首を 傾げる。

「俺もー、ライラの 方から押し倒 して来なきゃ、別に××しようとは思わないし。Dとのアレだって、腹の上乗っかられなきゃ逃げてたし。いや確かに合意の上で俺もその 気になったんだけどさ、なんつーかその、俺ってホントそういうトコはダメダメでさ――」

 ――D

 青緑色の柳眉がひ くりと動く。

 いつだったか、夜 中にカジャを 叩き起こしてまで愚痴らずにいられなかった時の悔しさが蘇る。

 そんなサラディン の心情には全 く気付かぬ様子で、黒いフライト・ジャケットをラフに着こなした超絶美形は、乱れた黒髪を掻き上げた。

「ったく、押し倒さ れる相手には コト欠かねぇんだけど、今までに押し倒したいと思ったのも、実際押し倒したのもあんただけって、これどーゆーことだろーとか思うケド、恋愛感情とか分かん ねぇから何とも言えねーし。親父の言ってる意味もイマイチ分かんねーけど、何となく分かるような気もするし。だからってどうこう言えるモンかっつーと、 そぉでもないし…」

「一体何をぐちゃぐ ちゃと戯言ぬ かしているのですか?ルシファード。…もう結構です。私は――」

「ああもぉ!だか らッ」

 ぶん、と拳を振り 下ろしたルシ ファードは、ざっと黒髪を投げて面を上げた。

「今メタクソ我慢し てンだけど、 ちっとアタマ変になりそーなくらい、無茶苦茶あんたのこと抱き締めてキスしてぇの!俺」

 太陽のように輝く 瞳で宣言され た。

 

 間を隔てている数 メートルの距 離が我慢ならない。

 触れられない肌の 温もりが耐え られない。

 重ねられていない 吐息が、許せ ない。

 どーしてそう思う かなんて分か らないけど、そーなんだからしょーがない、って。

 

 サラディンは何と なく左を見、 訳もなく右を見て、再び左に首を巡らした。

 ここはステーショ ン内のロビー だったのだろうか。広い空間の窓際には作り付けのソファと机が並び、萎れた観葉植物の向こうに張り詰めた星空が広がっている。放棄され空調が止まっている のだから当然だろうが、ひどく寒い。宇宙の絶対零度と同じなら、疾うに冷凍睡眠状態になっているはず――なのに何故か、身体中が熱い。特に顔は、燃えてい るかと思うくらいに熱い。

 

 ――…誤魔化そう としても、無 理ですね。血が沸騰して、それこそ頭が、変になりそう。

 

「サラディン、あ の……駄目?」

 蓬莱人は、湯気が 出そうなくら い火照って真っ赤になった顔を、外れそうな勢いで横へ振った。

「え…でも俺、も、 こ れ以上ガマ ンできそーにないンですが…」

 サラディンは無言 のまま、す、 と半身引いて身構え、それから一つ深呼吸をして答えた。

「――私を倒せた ら、考えてあげ ましょう。念動力は使用不可。私も爪は使いません。…準備は宜しいですか?」



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