*** Weak Point -2 ***
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 夕飯を作りながら、ルシファードは珍しく打ち萎れていた。
 頭が冷えてくるにつれ、昨夜サラディンにしたことが、厚かましい暴挙に思えてきたのだ。
 実際あの後、頸を押さえ、顔を真っ赤に染めたサラディンは、「――信じられない。この借りは、必ずお返ししますよ」と言い捨てて部屋へ入ってしまった。
 その仕草も姿もあまりに色っぽく美しかったので、脳が蕩けた自分は阿呆になっていたのだろう。
 ――怒っていたのに。
 ルシファードは、滅多にない溜息を吐く。
 俺ってば、ホント馬鹿。ドクター怒らせといて、一体何を浮かれてたんだか…。
 今後どんな風に“借り”を返されるのか、考えるだに恐ろしい。
 まぁそれでも、「やっちまったモンは仕方ねぇ」が十八番の男である。サラディンの好物を取りそろえた夕飯で、何とか機嫌を持ち直してもらおうと画策中な のであった。


 微かな電子音に続いてドアが開く。
「お帰り、サラディン」
 出迎えた男は、うわ、と思わず一歩後ずさる。
 上着を脱ぎながらルシファードへ冷たい一瞥を投げたサラディンは明らかに――機嫌が悪かった。
 投げられた視線に、一瞬凍りついたルシファードだが、そこは歴戦の将。早期決戦、全面降伏あるのみ、と直ちに実行へ移す。
「ごめん!ドクター」
 そのまま部屋へ入ろうとしたサラディンは、足を止めルシファードを振り返った。
「――何がですか?」
「その…怒ってるんだろ?昨日のこと…。俺、なんか夢中になっちゃって…ホント、申し訳ありませんでしたっ」
 きっちり九十度、長身を二つに折った相手に表情を緩めた医師は、ゆっくりと向き直る。
「…本当に、分かっているんですか?私が、何を怒っているのか」
(…って、やっぱ怒ってたんだ〜)
 内心どっと冷や汗をかきつつ、ルシファードは言葉を繋いだ。
「俺が、調子に乗ってドクターの…その〜…弱いトコ責めたから、だと…思うんだけど」
 自分の感覚が通常と外れている自覚は十分にあるので自信はないが、“答え合わせ”をするためにサラディンの心を覗く気など更にない。
「では、昨夜の分、早速リベンジさせて頂けますか?」
「――はい?」
「お察しの通り、一方的にやられたことが不本意だったのですから、その分、やり返させて頂く、というのが筋でしょう?」
 シャツの腕を組み、艶然と微笑むサラディンは、それはもの凄まじいオーラを発していて、ルシファードは更に一歩、後ずさる。
「…は、はぁ……」
 やばい。これは非常に、今までになく、かなり真剣に、やばい。
 あからさまにおののいている相手の様子に、元来いじめっ子の医師は笑みを深くしながら、優雅な足取りで近づく。
「――別に、怖がることはありませんよ。ただ、あなたの弱点を教えて頂くだけですから…」
「あの〜…一体それのどこが、怖くない理由になるんでしょうか…?」
「別に、捕って食おうとしているわけではない、という部分でしょうか?あ、でもある意味、同じ事かもしれませんねぇ」
「…って、笑いながら言われても、ますます怖いだけなんですけど、ドクター。つか、マジでちょっと待ってくれ、サラディン。そのリベンジってのは後で心し てお受けするからさ、今は飯を先にしてくれないか?折角あんたの好物そろえたのに、冷めちまっちゃしょうがねぇや」
 ルシファードは、親指で背後のダイニングキッチンを示す。
 しばし躊躇った外科主任医師は、仕方ありませんね、と溜息を吐いた。
「食べ物で懐柔されるなんて業腹ですが、今日も忙しくて、ろくに食事が摂れませんでした。お楽しみは後ほど…ということにしましょう。――着替えて、手を 洗ってきます」
「ああ。待ってるよ、サラディン」
 少々意味が違うような気もするが、まさに“一芸身を助く”――って、料理も芸なのか?俺。
 掌に薄くかいた汗をエプロンで拭いつつ、サラディンの背中を見送ったルシファードは、ディナーのセッティングを始めた。


 片付け物を終えたルシファードがリビングへ戻ると、そこには、予想した通りの光景が広がっていた。
 外科主任室にある物より座高の低い、やはり工芸品を思わせるデザインのソファに座ったサラディンは、例の恋人から貰ったという“三味線”を膝に抱 えたまま、静かな寝息を立てている。
 こういう展開を狙ったわけではないが、疲れていた様子だったので、こうなるだろうとは思っていた。
 助かった…けれど、少し残念なような。普段の強烈な妖艶さがなりを潜めたサラディンの寝顔は、どこか愛らしささえ漂わせている。
 濡れたエプロンを外しながら、ルシファードは見惚れてしまう。
 存在すること自体が奇跡のような、美しい生き物。…いや、蓬莱人の置かれていた悲惨な状況を考えれば、彼の父母が出会い、彼が生まれ、今の今まで生き残 り、この広大な銀河の片隅で自分と出会えたことは、紛う方なき奇跡だろう。
 感情の封印が解かれたばかりの先ラフェール人は知らない。
 ふわりと胸を満たす、ほんの少し痛みを伴う温かさの名前を。相手の安らかな寝顔を見つめるだけで、いつか自然と微笑んでいる、その理由を。
 テレパシーでサラディンが目を覚まさないよう操作しながら、大事な楽器から指を外し、脇へ置く。180センチの長身を軽々と抱き上げたルシファードは、 一瞬視線を宙へ泳がせてから、遠慮がちにそっと、白い額へ口付けた。
 ――このくらいは、いいよな?
 何だか顔が火照るなと思いつつ、寝室へとストロークの大きな一歩を踏み出した。

(C)AmanoUzume. 2007.25.Mar.
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