ライオン

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 第一印象は、『獅子』だった。

 今では伝説に近いその動物を、実際に見たことはなかったが、地球系の建物や様々な意匠として使用されているため、イメージは把握している。

 黄金の鬣と瞳。肉食獣独特の猛々しさと力強さの中に、猫科の動物らしい柔らかさと愛らしさがあり、成程親しみやすい造形だと思えた。

 今目の前で呆然として自分を見つめている男は、見る者に容易くその獅子を思い起こさせる風貌をしている。

 ――六芒星系人。

 種族的特徴として大柄な体格と褐色の肌を持ち、身体能力に優れ、生まれながらの戦士と呼称される――。

 男の外見は正しく六芒星系人そのものだった。

 二メートルは超えているであろう身長に隆々と筋肉の付いた、しかし基地の筋肉馬鹿どもとは違って野生の獣のようなしなやかさを感じさせる身体。鬣の如く奔放に広がる金髪には所々銀糸が混じり、目鼻立ちのくっきりした十分に男前な顔を華やかに縁取っている。

 黒いスタンド・カラーのノー・スリーブをまとった剥出しの二の腕には包帯が巻かれており、シャツの下にもどうやら同様の処置がされているようだった。

 瞳はこれまた見事なまでの金色で、蓬莱人の医師に別の誰かを思い起こさせるそれは今、瞬きもせずにこちらを見つめていた。

「――失礼」

 見つめ合ったほんの数秒で相手の情報を読み取った医師は、ぶつかりかけ近付き過ぎた身体を一歩、退く。

「あ……」

 なぜか相手は追いすがるように手を伸ばしかけ、躊躇いがちに宙へ留めたそれをすぐ握り込んで下ろす。

「失礼、ドクター。私はライオネル・ハイラインと申します」

 通りすがりに名乗られることを訝しく思いながらも、礼をもって返す。

「これはご丁寧に。外科主任のサラディン・アラムートです。何か処置に不明の点でも?」

「あ、いや……ええと、そのー…」

 首を傾げるサラディンに、ライオネルと名乗った相手は何故か慌てた様子で言葉を探している。

「――ドクターがあんまり綺麗なんで、驚き過ぎて。あの、一目惚れしちったみたいで。その、もし良かったら今夜俺と夕飯ご一緒して頂けませんか」

少し訛りのある銀河標準語で必死に話す相手の顔が見る間に色を変える。どうやら赤面しているらしい。褐色の肌だと顔色を見るのが難しいなと思いつつ、きっぱりと答える。

「お断りします」

得体の知れない相手からの突然の申し込みを受け入れる人の良さは持ち合わせていない。

相手は一瞬絶句して固まったが、数秒後再起動。

「そりゃ、そうですよね。えーと、俺……」

大きな手が金の鬣を掻き上げ握り締める。逸らされることのない瞳を、サラディンも真正面から受け止める。

「俺、明日また出直してきます」

「すみませんが、そういう目的でしたら、業務に差し障って迷惑です。ご遠慮下さい」

「ああ、そりゃそうだ。ええと……休憩の時とか」

「貴重な休憩時間を貴方のために割くなんて嫌です。お断りします」

「あーホントにその通りですよね。ええっとー…」

傍らにいた仲間らしき異星人――青鈍色の肌と手足のひょろ長い異形の風貌からそれと分かる――が見かねた様子で、男に何か耳打ちする。

「あ、そっか」

頷いた男は、ウェストポーチから紙片を取り出した。

「あの、これ俺の連絡先です。もし……良かったら」

名前と、職業、連絡先等が小さく書かれた――名刺だ。思わず溜息が出る。

「……恐縮ですが、私の方から貴方にご連絡する意思は全くありませんので、お受け取りしかねます」

一瞬絶望に彩られた男の肩を、しなやかな白い手がぽんと叩く。

「清々しいほど明確なお答えでありがたいんですけれども、どうか受け取るだけ受け取ってやって下さいな」

滑らかな声とともに、異星人とは反対側の背後から黒髪の美女が現れた。気配は感じていたので、驚きはしない。女はターコイズ・ブルーの瞳でサラディンを捕らえ、ニコリと笑った。

「彼とはそれなりに長い付き合いですが、こんな様子は初めて見ます。勢いで自分の腹をかっ捌きかねないので、どうか受け取るだけ受け取ってやって下さい。お願いします」

「――長い付き合い、の貴女がいらっしゃるのに、受け取る必要がありますか?」

「あら、まさかドクターは私がそういう女だとお思い?」

男にしなだれかかりながらそう言われても、普通なら意味が分からなかったろう。しかし、長年外科医を勤めてきたプロの目は誤魔化されない。いや、蓬莱人の目は――と言うべきか。細い血管すら透けて見えるほど精巧に作られていても、彼女の肌からは血の匂いがしない。動くたびざわつく微かな作動音――アンドロイドか、サイボーグか。

「いいえ。――仕方がない、本当に受け取るだけでよろしいですか?」

肩をすくめて頷いたのは、別に彼女のお願いのせいではなく、彼女の言葉に「あっ、そうか」と小さく呟いた男の言葉にうんざりしたからだ。

実際に腹をかっ捌かれ、仕事を増やされては堪らない。

名刺を受取ってやると、ライオネルと名乗った男はほっとした様子で微笑んだ。

「ありがとう、ドクター」

胸に手を当て六芒星人式の礼をした男と仲間二人は、ざわめきを引き連れてエレベーター・ホールへと向かった。途中、男が幾度も振り返るので、終いには隣の美女に小突かれていた。

別にサラディンは、気持ちがあって彼等の背中を見送っていたわけではない。

単に後ろのナース・ステーションを振り返りたくなかっただけだ。

しかし、そもそもそこが目的地だったのだから、と振り返った途端、視界に飛び込んできたのは両手を祈りの形に組み合わせ瞳をキラキラとさせたミズ・バーレイの姿。他にもどこかうっとりとした表情を浮かべたナースが幾人か。

当分はこの噂に尾ひれがついて、ナースや暇を持て余した入院患者達を楽しませるのだろうと覚悟を決めたサラディンは、誰へともなくにっこりと笑う。

周囲が瞬間冷却されたのを確認して、口を開いた。

「さあ、油を売っている暇はありませんよ、皆さん。仕事をなさい、仕事!」





「そういやドクター、病院でナンパされたんだって?」

無粋な料理人は、ご馳走を前にして幸せに浸っていた蓬莱人の気分に遠慮なく水を差す。

「……誰から聞いたんですか」

肉料理に仕上げのソースを掛けながら、ルシファードは唇の片端を上げた。

「すげーぞ。昼飯の時間帯だったって言うのもあるだろうけど、午後一番にライラから聞いた報告がソレだぁ」

ということは、一時間以内ではないか。サラディンは思わず瞑目して溜息を吐いた。

「……仕事で必要な報告も、その位早ければよいのですけれどねぇ」

外宇宙探査基地となり、再編が決まってからも、カーマイン基地の噂好き体質は変わらないらしい。むしろ今後への不安と期待で拍車がかかっているのだろうか。

「全くだ。で、せっかく情報頂いたんで、俺もそいつのこと調べてみたんだけど」

「――あなたまで、勤務時間中に一体何をしているんですか。この給料ドロボー」

「大丈夫だって! ちゃんと今日の仕事終わってからやったから、ライラも怒らなかったし」

恐れ知らずなこの男にとって、善悪の判断基準が『副官に怒られるかどうか』であるということは既に嫌というほど知っているので、そこは突っ込まない。

「そうですか、それで結果は?」

「別にどうと言って怪しい所はなかったな。個人で経営している輸送船だから、たまーに積み荷が生身の人間だったりしてやべー部分もあったけど、俺達母子が賞金稼ぎだった頃に比べりゃ、全然合法の範囲内」

「……積み荷が生身の人間って、かなり怪しいじゃないですか。それ合法なんですか?」

「んー…クーデターが起きた惑星から大統領の子どもを運び出したんだから、むしろ人道的活動? ちゃんと書類も揃ってたし、法的には問題なし」

恐ろしく手間のかかった超絶美味な料理を惜しげもなく早食いしながら、ルシファードは説明する。

「――よく午後からの数時間でそこまで調べられましたね」

魔術師クラスのハッカーにはさほど難しくないと分かっていても、それが自分の安全のためにされたことだと思うと、少し嬉しい蓬莱人だった。

「んー、まぁね。とりあえず『狩る者』とかヒュドラとか、その辺りとは関係なさそうってコトだけ。記録から分かることだけだから、用心に越したことはないって……でも、何かいーよなー」

フォークを咥えたルシファードが、ぽつりと呟く。

「何がですか?」

口中に広がる芳香に自然と笑顔になりながら、サラディンは訊いた。

「でっかい宇宙艦で外宇宙探査もいいけどさ、ちっさい個人用宇宙船で銀河をあちこち飛び回るのも、楽しそうだよな〜…っていうか楽しいからさ、うん」

ルシファードには、十代の頃、母親と一緒に賞金稼ぎとして飛び回った楽しい(?)°L憶がある。

「それじゃ、外宇宙探査を止めて、二人で賞金稼ぎでもしますか?」

「……それも悪くないよなー。ライラがついてきてくれるんなら、ベンもきっと一緒だろうしなー…」

「おやおや、そんなこと言うと本気にしますよ? ルシファード」

少なくとも独身男女ばかりの宇宙艦で外宇宙探査なぞするよりは安全にこの男を独り占めにできる。通常医務室詰めの自分と、操舵室詰めの艦長とでは、現在の基地勤めとそう変わらないのではないかと懸念していたところだった。

「……あーでもこの間、退官禁止令出ちゃったんだっけ。そうすっと脱走兵か〜…面倒臭ぇな。脱走兵でもいい? ドクター」

「嫌です」

きっぱり解答。これ以上無駄な追手など負いたくない。

「デスヨネ。ま、んじゃ外宇宙探査を前向きに楽しむっちゅーコトで」

ルシファードがグラスを差し出したところで、インターフォンが鳴った。

「ん、カジャ達かな?」

あっさりグラスを置いて立ち上がった男の背中を、少し切ない気持で見送る。

ルシファードと出会うまで孤独だったため、アットホームに皆でワイワイと食事を楽しむという経験が楽しくないわけではないけれど、呼び鈴を聞いた瞬間がっかりするのは、やはり二人の時間を十分に味わいたいと思うから。

ルシファードには、そんな気持ちは無いのだろうか。

素振りすら見せないのが、サラディンには少し寂しい。

訊いてみたいとは思う。けれど、もし『全然』とか、『何で?』と訊き返されたりした日には、無駄に傷つく自分が見えている。

「何だ、サラ。ものすごく不服そうな顔だな」

自然、その欲求不満の鉾は四十年来の腐れ縁である茶飲み友達へ向く。

「……ええ、その頭の綿菓子を毟ってやりたいと思う程度には。どうしていつも邪魔をしに来るのですか。ライラと二人で食事を楽しめば良いでしょう。全くお子様は無粋で困りますね」

「そこの唐変朴がわざわざ誘うから来るのだ。君こそ患者を籠絡する暇があったら、そこの頓珍漢を色気づかせてみたまえよ」

外見十五・六歳の美少年がオレンジ色の目を眇めて反駁する。

「打っても響かない頓珍漢だから唐変朴と言うのでしょう? 言葉の意味も分からずに使っているのですか。生意気な台詞は、患者から飴を貰わない日ができてから言いなさい」

「失敬な! 一昨日は貰わずに済んだぞ!」

更に言いつのろうとして双方開いた口を、大きな手が遮った。

「は〜い、そこまで。……あんた達のケンカは見てても聞いててもすんげー面白いけど、料理冷めるから、席ついて」

渋々座り直したサラディンに、ライラが済まなそうに頭を下げる。

「申し訳ありません、ドクター」

「いいえ、八つ当たりができて少しスッキリしました。こちらこそ邪魔にしてすみません」

誰もが陶然と見惚れるような笑みを浮かべつつ、蓬莱人は邪魔者をわざわざ誘う『唐変朴』に今日こそ引導を渡してやろうと心に決めた。




食器の片付けを終えたルシファードを、サラディンは「話がある」と引き留めた。

二人きりに戻った部屋で、水を挟んで向かい合う。

ルシファードの用意する水≠ヘ、レモンスライスとミントの葉で香りつけられた爽やかな清涼飲料だ。

「で、話って?」

片肘着いた男の金環食に絆されないよう、サラディンは視線に力を込める。

「どうしてカジャを誘うんですか」

「大勢で食った方が楽しいかと思って」

「私と二人では楽しくない?」

「いや、俺がじゃなくて、あんたが楽しいかと思ったんだけど、違うならもう誘わない」

「楽しいわけないじゃないですか」

「そう?」

「……楽しくないわけでもないですけど」

「うん。だよな」

分かっている≠ニでも言いたげに、柔らかく笑んだ超絶美貌に胸が詰まって、つい目を逸らしてしまう。ああ、今日も負け≠ゥと、暗澹たる気分になる。

「とにかくそういうことですから、次回は誰も呼ばないで下さいね」

「アイアイ・サー」

「……サーとか、ドクターとか、二人の時は止めにしませんか、ルシファード」

「んじゃ、サラディンも『大尉』っての禁止ね。一回につきマイナスワン・ポイント」

「それ、ポイントが溜まると何か罰ゲームでもあるんですか?」

「おっ、何か考える? そーゆーゲームっぽいの大好き」

「知ってます。では、マイナス十ポイントごとにキス一回、とか」

「それ罰ゲームになんないじゃん」

悪戯心で鎌を掛けたのに、ごく普通に返されて、逆にドキリとする。

「――そう、なんですか?」

「? だろ?」

ルシファードは金環食の目を瞬き、首を傾げた。この男相手にこんなことで舞い上がっていては身が持たないと思うのに、不意打ちで頬に血が昇るのを止められない。

パールホワイトの肌を薔薇色に染めたサラディンの様子に、当の本人が慌て出す。

「え? 何? どうしたの? 俺、何かした?」

いたたまれず席を立ち後ろを向いたサラディンは、悔しさとともに言葉を絞り出した。

「……男殺し」

「うわ、その呼称、やーめーてー!」

本気で嫌がっているのが分かる声音に、少し溜飲を下げる。

「そうやって、その気もないのに甘い言葉を吐いて回るから、どこの基地でも信奉者のワンフ軍団が発生するんですよ」

「くそー! あんたならともかく、男なんぞ口説く気ねーっつの!」

――だからそういう発言が問題だと言うのに。

ゆっくりと振り返りながら、サラディンは蓬莱人のハンター・モードをオンに入れた。

「私ならともかく……?」

「あ、いえ、その」

失言に気付いた男は、本気で慌てた表情に変わる。

「私のことは口説く気がある、と……そう受け取って良いのですか?」

「えーとぉ……」

席を立ち、逃げ腰になったルシファードを、飛び切りの笑みでフリーズさせる。

「そういうことを簡単に言うから…」

軍服のシャツの胸元に指を這わせ、まだ熱りの残る頬を寄せた。

「あなたが色恋を全く理解しない朴念仁だと分かっていても、絆されて……期待してしまうんでしょう?」

触れた胸からは、どくどくと駆け足の鼓動が響いてくる。他の人間なら絶対に思わないのに、どうしてこの胸にだけは、抱かれたいと思うのだろう。

「すごい心臓ですね……緊張しているのですか?」

「この状況で緊張しない奴は、既に死んでいると思いますドク――サラディン」

――だから、その気がないなら、そんな風に名を。

「今の、セーフ?」

「……セーフですよ、大尉」

「サラディン?」

「大尉、大尉、大尉、大尉、大尉、大尉、大尉、大尉、大尉。……これで十回」

顔を上げ、金環蝕を抱いた黒い瞳を覗き込む。

思い切り挑発の色を浮かべて。

ルシファードは驚いた表情で何か言いかけ――やがて真顔になり、そのまま唇を寄せた。

一体幾日振りだろう。唇が触れ合う度、痺れるほど自分の渇き≠自覚させられて、嫌になる。

舌が滑り込んでくると、自然に喉声が出た。

二百二十七年も生きてきた蓬莱人の自分が、翻弄されて、何も考えられなくなる。差し出した舌を吸われただけで、感電したみたいに瞼の裏へ星が飛ぶ。

いつの間にかシャツを握り締めていた手に手が重なり、もう一方の手はサラディンの頸を支えた。

――こんなに深く交わり合っている自分達が『恋人』でないとは、見た人間は誰も信じないだろう。

けれど――薄い唇の端を軽く音を立てて吸ったルシファードは、嫌味なほどすっきりとした笑顔で身体を離した。

「はい。罰ゲーム終了」

……物欲しげな表情など、見せたくない。

サラディンは目いっぱいのプライドで、余裕を装ってニコリと笑う。

実際は、握り締めていた指を解くだけで胸が痛い。

「今日はご馳走様でした、ルシファード」

「って、今言われると、別の意味に取れるなぁ」

「おや、どういう意味だと?」

「いえいえいえ、どういたしまして。また食いたいモン考えておいてくれよな、サラディン」





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