悪くない。
携帯端末を開くとサラディンの顔が見られるというのは、中々イイ。
アダン曹長が懐に忍ばせている家族写真を羨ましく思っても、彼女ができたり結婚して家族を持たねば叶わぬ夢だと思い込んでいた。
――どうしてそんな風に考えたのだろう?
サラディンの写真なら、名画を持ち歩くようなものだ。全く、携帯端末の壁紙にするにはもったいないくらいの芸術品じゃないか。
機嫌良く鼻歌を歌いながら寝室へ入れば、そこにも怜悧な美貌が輝いている。
――悪くない!
スクリーン・グラスを外したルシファードは金環蝕の目を細める。
ライラには呆れられたが、そんじょそこらの絵画より芸術性は高いだろと言うと、「まぁね」と溜息交じり頷いていた。
もちろん、自分にとっては例えば宇宙船マニアが自分で撮った船の写真を部屋の飾るようなものだと思っても、他の人間にはあの「ドクター・サイコ」の御影なのだということは分かっている。だから寝室だけに留めた。
シャワーを浴び、メールや雑事を片付けてから、ベッドへ座り込んで『パープル・ヘヴン〜サラディン・アラムート大特集号〜』の封を切る。
開くと、カラー・イラストの折り込みポスター口絵。流石と言うべきか、素人目にもかなり気合の入りまくった美麗なイラストだった。もちろん、素晴らしい耽美っぷりである。
――サラディンの場合、実物が実物だから、薔薇でもなんでも飛ばせるだけ飛ばしていいもんな。
どれほど耽美に仕上げた所で、本物に敵う筈もないのだから。笑いながらページを捲ったそこに、見慣れたスクリーン・グラスの肖像。
――親父?
見間違いようがない。一瞬驚いたが、すぐ合点した。
――ミズ・バーレイか。
ミーハーを絵に描いたような看護師の顔を思い浮かべ、苦笑する。当の外科医が土産として彼女に与えた自分とO2の映像から、妄想の翼を広げたのだろう。彼女が読むだけでなく書く方もしているとは知らなかった。P.N.に覚えがないところを見ると、大方ネタが軍病院で、外科医と内科医の存在が欠かせないから、今まで出すに出せずにいたと言うところか。
それにしても、カジャとサラディンではなく、ここでO2を絡ませてくるというのが、彼女の素晴らしいチャレンジシップである。
――親父の極悪な性格なんぞ知らねぇだろうに。
ところがどっこい。
これが、中々良く書けている。
大笑いするどころか、ミズ・バーレイは銀河連邦軍情報部のエージェントなのではないかと本気で疑いたくなる内容だった。
まぁ確かに、鬼畜調教モノ?によく出てくる、エロで悪趣味で金持ちな中年オヤジの性格そのままと言えばそうなのだが……。
付き合っていた恋人(なんと俺)にフラれて傷心のサラディンが、うっかりエロエロエッサイムなO2の手管に嵌っていく――って、展開もまぁベタなんだけど。
策士でエゲツナイ親父の性格が所々よく似ていて、ルシファードはたった一枚の画像からここまで書いた某看護師に「ベスト・オブ・妄想賞」を授与したくなった。
むしろよく知っている筈の外科医の描写の方がファンタジックで、手練手管にハメられてすぐにあんあん言っちゃう様子は爆笑と言うより失笑。
――でも、もしこれサラディンが読んだら、ミズ・バーレイ……命がないだろーなー。
次の話はワルターが攻め役だった。
攻めは攻めでも、当然と言っては悪いが、いわゆる「ヘタレ攻め」である。女王様なサラディンに縛られ焙られ、調教されつくしてしまう境遇には、これまたきっと繊細な本人が読んだなら、いつかのように泣いて落ち込むのだろう。
――ワー君……き、気の毒に……!
と思いながら笑っているルシファードは友人失格。
その次の相手役は、アンリ・ラクロワ――現基地司令官である。
何しろ耽美とはほど遠い前基地司令官すら「……来ちゃった」なぞと言わされていたのだ。片やどんな美女も顔色を失う美貌の持ち主、片や全職員の信頼厚いロマンス・グレーで、現実にも「アンリ」「サラ」と親しげにファースト・ネームで呼び合う間柄の二人を、パーヘヴの妄想家たちが書き逃す筈もない。
しかしまぁ予想通りというか、意外性の無い二人の王道っぽい長編は、笑える要素に欠けて……いるんじゃないかと思ったが、これが予想外れに大当たり。
「――そもそも作者は笑わせるつもり、ないと思うけど」
「でもさ〜、夫の不倫相手のサラディンに、家族を盾にスゴむ奥さんとか、最強じゃね? しかもそれで傷心したサラディンは、愛しい司令官殿の幸せのため真珠の涙を浮かべながら@キに出るんだぜ!」
思い出し笑いに腹を抱えながら執務机を叩く男を、有能な副官は冷め切った目で見遣る。
どうやら該当の小説は、彼のツボである装飾過多な耽美系だったらしい。
「……母親は強いから、家族のために必要だと思ったら、あのドクターに対してでもそのくらいするかもね。まぁ実際あの奥様なら、さっさと見切りをつけて慰謝料がっぽり貰って悠々自適、数年後にはまた素敵なロマンス・グレーを捕まえたりしてそうだけど」
「ああ、確かにあの奥さんは、キレたら相当怖そうだ」
「……カジャは?」
「軍病院でも『解禁』になったのはサラディンだけだからな。他の病院関係者は出演なし」
「そう……他はどんな感じだったの?」
「ああ、やっぱりというか当然というか、マオ中佐殿もご出演あそばされてたぜ。それから某白ゴリラに〜……マルっちも!」
嬉々として話す男の感覚は、最早想像の範疇を超えている。
「……あなた、本当に少しも嫌じゃないのね」
溜息交じりに放った問いは、予想通りきょとんとした様子で返された。
「何が?」
「例えフィクションにしても、ドクター・アラムートがそんな扱いを受けている小説を読んで……」
黒髪の超絶美形は大らかに笑う。
「何言ってんだよライラ。お前までどっかの阿呆共みてぇに、妄想と現実の区別がつかないってワケじゃねぇだろ。実際誰かがサラディンに手ェ出したならともかく、妄想力豊かな女達の頭ン中で、サラディンが誰と何しようがされようが、別に痛くも痒くもないぜ。ご当人だってそー言ってたぞ」
「ええ、まぁ、そうなんだけど……」
全くその通りなのだが、実際その通りに振舞える人間は、中々いない。
人の心は弱く、僅かなことですぐ千々に乱れる。もしカジャが散々な目に合わされている小説なぞ読んだら、ライラとて平静で居られる自信はない。
「だろー? 実際手を出した奴は消したわけだし」
変わらぬ笑顔のままさらりと言われたので、うっかり聞き流しかけて鳥肌立った。
「だ〜か〜ら〜っ! そのコトをそういう顔であっさり口に出さない! 宇宙軍刑務所に死ぬまで入りたいの? この大馬鹿者ッ!」
「まさかー。入る前に逃げるって」
軍服の襟首掴まれてがくがく揺さぶられながらへらへら笑っている超絶美形を、本当にこの場で縊り殺してやった方が世の中のためではないかと思ってしまう。思いながら、実際そうなったら自分は彼と一緒に逃げる道を選ぶのだろうなと、ライラは半ば諦観の境地で肩を落とした。
「あ、でも一つ納得いかないところはあったな」
「――何?」
「俺、サラディンは絶対攻め≠セと思うんだけど、お前どう思う?」
ライラは黒目勝ちの大きな瞳を眇めた。
「まさか……」
「うん。受けも受け、総受け≠セったんだよなー。あれはちょっと頂けないわ。ワルターとのやつも結局女王様受け≠セったしさー」
サラディンは攻めだろー、と繰り返す男の襟首を離そうとして、ふと気付く。
「あら? そういえば、あなたとのカップリングはなかったの?」
「うん」
綺麗な天使の輪の浮かべた黒髪が頷く。
「一体、何故?」
「知らねぇ」
「……ああ、そう……って、それは不自然すぎるでしょう。あの団体が外部圧力に屈するとも思えないし。情報部が止める……わけないわよね」
何しろトップの人間がこともあろうに息子の載っているホモエロ雑誌を「面白いから送れ」と言ったのだ。掲載を勧めこそすれ、止める筈がない。
そうなると――。
「たぶん、ドクター・ストップだと思うんだけど」
「……そういうことになるわね。でも、何故かしら?」
襟首を引き寄せ、超絶美形の目元を隠すスクリーン・グラスを覗き込む。
「さぁー? 今夜、直接本人に訊いてみようと思ってるけど」
「あら、今夜もドクターに会えるの?」
「さっき連絡したら、夕飯に抜け出すくらいはできるって。その後また病院へ戻るらしいけど」
「……相変わらずご多忙ね」
「ベンは? 一緒に飯食えそうか?」
「――今日はちょっと、無理だと思うわ」
目の前の美貌が、悪餓鬼そのままニカリと笑う。
「デートか?」
――ごん。
続けて響いた鈍い音が、放り投げられた男の後頭部が壁に当たった時のそれであることは言うまでもない。