緑眼狂騒曲 〜The Green Eyes Rhapsody〜

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 カジャ・ニザリは、妙に苛々とした気分で通信室の黒い画面を見据えていた。

 ――どうして私が、こんなことをせねばならんのだ!

 内心で不満を並べながら、それを口実にしているという自覚もある。

 百五十年あまり生きてきたが、用もないのに亜空間通信を送れるほど、自分は素直になれない。

 画面に映像が結ばれた途端、待ち望んでいた相手はカジャをはじめ多くの人間に愛されている、その大らか な低 音でのた まった。

『よお、ベン!久し振りだなぁ』

「――誰がベンだ?!この私をお前のウサギと一緒にするなと、何度言えば分かる、この唐変木ッ!!」

 怒鳴りつけた白氏の剣幕に、さすがの鈍感大魔王も驚いたらしい。たじろいだ様子で、画面から僅かに身を 離す。

『ど、どーしたんだよカジャ。久し振りだってのに…カルシウム不足か?』

「カルシウムどころでなく色々と足りていないお前に言われる筋合いじゃないな。仮にも私は軍医だぞ?お前 が尻にカ ラをつけたヒヨコだった頃から命のやり取りをする現場にいるんだ。少しは敬意というものを払え!」

『アイ・サー』

 ルシファードは軽く右手を額につけて敬礼すると、真顔になって言った。

『マジで機嫌が悪いな、ベン。何があった?』

 親身な口調で問いかけられ、ぐっと言葉に詰まる。どう説明したものか、昨日から考えあぐねて結局、答え は出な かった。

「……お前、サラとは話をしているんだろう?」

 兎も角も、それが分からなければ話にならない事実を確認する。

『サラディン?…あぁ、三日前に亜空間通信で…だけど、特に何も言ってなかったぞ?変わった様子もなかっ たし』

 肯きながら、やはり、とカジャは胸中一人ごちる。

「…鈍感なお前に見抜けるとはそもそも思わないが…全く、サラもサラだ。人間二百年も生きていると、見え 張りも無 駄に年季が入るようだな」

『――何があったんだ?』

 それまで余裕を漂わせていたルシファードの表情が引き締まる。予想通りの反応に、内科医の胸は鈍く痛ん だ。

「命に別状はないから安心しろ。…我々の病院がカーマイン基地の併合後、民間に払い下げられるのは知って いる な?」

『それ、ベンが教えてくれたじゃん』

 命に別状がないと聞いた途端、気の緩んだらしい大尉は、呑気な茶々を入れる。そんな男をオレンジ色の目 を眇めて 睨み据えた白氏は、堅い声音で続けた。

「…外宇宙探査基地の医療センターが完成して軌道に乗るまでは、経営母体が変わっても入院患者を全員転院 させるこ とはできないし、通院している慢性患者の顔ぶれが一気に変わるわけでもない」

『つまり、引継ぎが必要ってワケ?』

 軽く肩を竦めたルシファードに、一見美少年が重々しく肯く。

「そうだ。十日程前から、新任の医師達が到着し始めたんだが、その中の一人が――」

 カジャは一旦言葉を切った。黒髪の災厄王は頬杖をついてこちらを見つめている。

「サラに一目惚れしたらしい」

『…は?』

 恐らく完全に予想外の内容だったのだろう。ルシファードはあからさまに間抜けな声を上げた。何だカンだ 言っても 結局自分より大物なこの男の意表を突けたことに、カジャはささやかな満足を味わう。

「初日に会って以来、毎日プロポーズに通っているらしい。院内はお蔭で上へ下への大騒ぎだ。ただでさえ忙 しいの に、良い迷惑だ全く」

『はぁあ〜?』

 超絶美形な銀河連邦宇宙軍の英雄(第一等勲章三個つき)は、みっともなく口を開け、凛々しい眉を寄せ た。

「病院関係者及び軍関係者、ほとんど全員参加で賭けが始まっているぞ。ルシファード、お前の帰還が今から 楽しみだ な」

 口は閉じたが眉根は寄せたままで、大尉は漆黒のスクリーングラス越しの視線をこちらへ向けている。

 話す言葉を無くして少し決まり悪げな内科医に、低い声が問うた。

『…で?』

「は?」

『論点が分かんねぇよ。カジャ、だから何だっての?』

 ――鈍い。

 鈍いとは思っていた。が、

 さすがに、これほどまでとは。

「――…お前、何も感じないのか?」

『何もって、何を?』

「…驚いていたろう?」

『うん』

「お前、何を驚いたんだ?」

『あの忙しいドクターんトコ、毎日押しかけてプロポーズできるなんて、度胸のある女性がいたもんだなぁ 〜…と』

 カジャは、今ここに鏡があれば良いと切実に思う。腕組みをして眉根を寄せたままの不愉快そうな表情をし ているこ とに、当の本人が気付いていないとは。

「…女性じゃない」

『え?』

「プロポーズしているのは男だ、男。しかもお前と同じ、黒髪の」

 ルシファードは一瞬、絶句したように見えた。少しの間を置いて、

『…そいつ、まだ生きてる?』

 それは、サラディン・アラムートを知る者達にとっては当然の質問で、カジャも当り前に答える。

「ああ、意外にもな。まぁ相手が中々分を弁えた好青年で、しかもどことなくお前に似た美男子だからだろう が、 サラにし ては前代未聞の寛容さだ。…だから賭けが始まっている」

『その、賭けってナニ?』

「お前にそこまで教えてやる義理は無い。自分で考えろ。キム中尉の言うところのムダに高い知能指数≠ 少しは有 効に使うんだな」

『――ヒントは?』

「だぁれが亜空間通信まで使ってクイズをしとるんだ馬鹿者ッ!!」

 画面向こうの男が大らかに笑う。一瞬見せた不機嫌さは、いつの間にか消えていた。

 サラディンのことが――好きなら、もう少し何か…あっても良さそうなのに。

 恋する乙女のような思考がちらりと胸の片隅を過ぎる。だが、腐っても鯛ならぬ一人はぐれても白氏。卑屈 な考えに捕われて貴重な茶飲み友達の不幸を願ったりはしない。つい正直な気持が声になる。

「お前、相手の男のことが気になりはしないのか?」

『なるよ。だから、名前とか前歴とか、分かる範囲で教えてくれ』

 あっさり言われて拍子抜けした。

「…知りたいんだな?」

『ああ』

「じゃあ、サラに訊け」

『今聞いてすぐ調べたいんだ。ベン、頼む』

「調べる?」

『ベンが超能力で相手の男に害意がないか調べてくれるんなら、それでもイイけど』

 今度はカジャが絶句する番だった。つまりこの男は、あの魅力的な友人の身上を色っぽい意味で心配する気 など毛頭無く、以前起きた騒動のように身体への実際的な危険が及ぶことのみを危惧しているのだ。

 初めてカジャは、サラディンに強い親近感を覚える。極限状態で二択を迫られたとしたら、恐らくこの男は 何の迷いもなく青緑色の髪の友人を選ぶだろうが、そんな己の心情を全く自覚していないのだ。

 それでは、サラディンの恋も報われぬと同然だった。

「…なぜ私が、お前のために接触テレパスまで使って調べねばならん」

『俺のためっつーより、ドクター達のためだと思うけど…ま、無理にとは言わねぇよ』

「お前は…サラのことが心配じゃないのか?」

『へ?だから、心配してんじゃん』

「その心配ではなく…サラが、そいつのプロポーズを受けるんじゃないかとか、そういう…」

 言っていながら、カジャ自身にもそれは銀河系が逆回転を始めるより有り得ないことと思えてしまう。

『はぁ…そういう心配ねぇ…ちょっとナンか、想像できねぇなぁ』

 ルシファードの反応も、カジャの実感に近いものだった。

「――とにかく、ナース達が盗み撮りした二人の様子と、奴の履歴をディスクにぶち込んでおいたから送る。 後は勝手に調査でも何でもしてくれ」

『おっ、ベン。準備いいじゃねーか。けど盗み撮り…って――変わんねぇな、そこのナース達も』

「変わる理由が無いのにどうすれば変わるというのだ?」

『力強く断言されてもなぁ…分かった。サンキュー、ベン。それにしても、外部からそれだけ人が入って来て るんじゃ、病院も落ちつかねぇな』

「全くだ。人間関係も変化するし、雑多な思念が渦巻いて、実に居心地が悪い」

『身体大事にしろよ、ドクター。あんまりムリして、いつかみたいに足腰立たなくなるんじゃねぇぞ』

 相手は全く無意識に過去の事実のみを述べているのだが、その表現にカジャは動揺して真っ赤になる。

「よ、余計なお世話だッ…お前こそ、妙な騒動を起こして帰れないなんて事態には陥るな。――で、帰りはい つになるんだ?」

 本当は一番訊きたかったことが、思ったより自然に口に出せて安堵した。

『“妙な騒動起こして帰れなくなる”って、それ、俺の場合すげぇありそーで洒落になんねぇよ。…ブレイ ン・ギアの修理は、調整も含めてあと一週間ってトコだ。「修理が終わったら、寄り道しないでまっすぐ帰らないとお仕置きよ」と、頼りになる副官殿に申し送 りされているのでご心配なく』

「彼女にはつい昨日、食堂で会ったぞ。手のかかる上司の面倒を見なくて済むのは助かるが、サラの事で妙な 騒動になっているのがうっとうしいと言っていた。今回の“同行者”はどうしている?」

『ニコル?相変わらずだよ。あいつはライラと違って、オレの面倒見る気なんてないからな。騒動起こさない ように、俺としては珍しく、すげぇ慎重に行動してるぜ』

 図々しくも胸を張る男。カジャは思わず額へ手を当てる。ライラの気持ちがよく分かる気がした。

「その心がけを普段から忘れなければ、彼女の苦労も減るのだろうが!結局、お前は面倒見のいい彼女に甘え ているだけだ。少しは大人らしくなったらどうだ?」

『泣く子も黙るサイコ・ドクターズのベンに言われたくねぇなぁ』

 今度は拗ねたように口を尖らす、一見とても表情豊かなこの男の感情が、実は非常に平坦なものであること を、カジャは知っている。つい先ごろ、その封印は流民街二十万人の命と共に解かれたらしいが、強大な超能力を制御するため無意識の安全弁が働くことにはあ まり変わりがない――だろうと思う。

 この基地に来てからのルシファードしか知らないカジャは、士官学校からの付き合いであるライラほど、そ の変化を大きく感じてはいなかった。

「一週間…。それから帰路に着くとして、十日前後か。サラに関しては、お前の心配が杞憂に終わることを 祈っている」

『あぁ、そうだな。また何か、変わったこととか怪しいことがあったら、すぐ連絡してくれ』

「分かった。じゃあな」

 内心激しく後ろ髪を引かれつつ、スイッチへ手を伸ばしたカジャに、画面の向こうから声がかかる。

「何だ?」

『ご多忙のところ、大変貴重な情報をお報せ下さいまして、誠にありがとうございます。ニザリ中佐殿』

 地球人類よりは遥かに耐性のあるカジャでさえ、思わず言葉を失うほどの様式美と造形美とを兼ね備えた敬 礼に、魅力的な笑顔。体が反射的な答礼を返すと、画面は微かな残像を残し暗転した。

 思わず、深い溜息が漏れる。

 敵も見方も隔てなく魅了される黒髪の悪魔王は、いついつまでも他人の感情に無頓着で無神経な、罪な男 だった。

 

 

 暗転した画面を名残惜しげに見つめることもなく、ルシファードは席を立った。コピーされたディスクが排 出されるまでの数分、青緑の髪の麗人に思いを馳せる。

 出会った頃のサラディン・アラムートは、他人に対し明らかな一線を引いていた。人当りは柔らかく物腰も 優雅でありながら、まさしく薔薇の棘を思わせる屈折した悪意と冷たさで他人を苛め、楽しむ。孤独を満喫しているかのような姿勢の裏には、二百数十年に渡る “狩る者”達との壮絶な戦いが隠されていた。

 ルシファードも、封印のかかったその特異な精神構造から、意識的にではないが、他人と一線を引いていた と言える。だが、ことサラディンに関しては、その外に置かれているのは嫌だった。

 封印のかかった自分の平坦な感情を、その存在感で強く揺さぶる相手。

 初めて出会った存在である彼にとってその他大勢≠ナはいたくないと、もちろんルシファードは意識して いたわけではなく。

 今も、サラディンの顔を思い出した彼が意識的に考えたことといえば、“あ〜、ドクターの綺麗な顔が見た いなぁ”だった。

 コピーされたディスクを手に個室を出る。通信室の兵士に軽く挨拶したルシファードは、白衣と軍服の行き 交う廊下で胸ポケットから携帯端末を取り出した。

「…あ、ニコル。俺。ちょっと野暮用ができて部屋に戻るから、アレクに三十分くらい遅れると伝えてく れ。…あぁ、ちょっと急ぐ。んじゃ、後で」

 端末を戻した胸の辺りに、何だか嫌な焦燥感があった。嫉妬≠フ二文字など己の辞書に皆無のルシファー ドは、それを“狩る者”達に対する警戒感だと解釈する。

(ドクターに限って怪しい奴に気を許すようなヘマはないと思うが…)

 焦燥感の底には、サラディンが人間という存在全体に対して張っていたバリアのような警戒感、それが自分 の封印と同様、解けてしまったのではないかという危惧があった。そして自分にとっての『鍵』がサラディンだったように、彼にとってのそれが自分の存在だっ たのではないか――と。

 あのアル・ジャファルとの一件にしても、助けたのは自分なのだが、巻き込んだのも自分であるという感覚 があった。勘の鋭いサラディンのことだ。何となくだが、自分がいなければ、あんな風に捕まってひどい目に会わされるような愚は犯さなかったように思う。そ して、よろずトラブル招き寄せ体質の自分が傍にいる限り、この手の危険は高まりこそすれ、減ることはないのだ…非常に不本意ながら。

 けれど何がどうあれ、サラディンを守るのは自分だ。もはや、彼と離れて存在する己など、ルシファードに は考えつかなかった。

 彼のためなら、星だって砕く。

 我ながら奇妙にも感じられるその思い込みに揺らぎはなかったが、自分が彼の“封印”を解き、二百年余も 狩る者£Bから逃れてきた貴重な勘を鈍らせてしまったとしたら…本末転倒だった。

(病院勤務ってコトは、医者だよな。医療機械の技術者ってコトもあるか…)

 入り組んだ廊下を出口へと向かうルシファードの脳裏に、嫌な思い出が蘇る。

 アル・ジャファル。マッド・サイエンティストにして、医師だった男。

(…とにかくそいつの身元を調べて、それからだ)

 ルシファードは標準より大分長い脚の回転を早め、研究所を後に宿舎の自室へと向かった。

 

 

「アラムート先生!」

 声に振り返り、印象的な翡翠色の瞳を輝かせた青年の表情から、サラディンは壁の時計へ視線を移した。

「…あぁ、もうそんな時間でしたか」

 最近シフトの終了時刻になると必ず彼が現れるので、自分の勤務時間に無頓着にならず助かっている。そん な時計のアラーム代わりに使われていると知ったら純情(そう)な彼は傷つくかもしれないが、別に構わない。毎日毎日押しかけられて、鬱陶しいと思わないで もないけれど、彼の漆黒の髪や地球人離れして綺麗に整った顔が想い人を彷彿とさせるので、まぁ大目に見ている。

 それに彼は、腕の良い機能訓練士で、礼儀正しい。連日繰り返される求婚が実に胡散臭いにしても、ルシ ファードがいない間の暇潰しとしては丁度良い――などと、血も涙も無いことを考えながら、サラディンは無意識ににっこりと笑った。

 紙の小箱を手に持った青年の顔が紅く染まる。

「アラムート先生…?」

「あぁ…すみません。少し考え事をしていました。何か、ご用ですか?」

 この青年のご用≠ヘ何か、良く知っていたが、白々しく尋ねる。

「あの、お仕事はお済みでしょうか?」

「いいえ。済んでいましたら、ここにこうして居る必要はないのですけれどねぇ?」

 皮肉な調子に、傍で耳を欹てていたナースの一人が息を飲む。

「…すみません。でも、そんな言い方されたら傷つくじゃないですか」

 青年は素直に表情を曇らせる。でもすぐに気を取り直した様子で、

「お忙しくなければ、夕食を一緒にいかがですか?ドクター」

「まぁあ、アラムート先生!どうぞこちらは大丈夫ですから、お食事なさってきて下さいな」

「そうです!でないと、また食いはぐれちゃいますよっ」

 いつの間にか集まって来ていたナース達が、やいのやいのとけしかける。

「…そうですね。では、ちょっと行って来ます。呼び出しがないようなら、そのまま宿舎へ戻りますから」

「えぇ、どうぞ、ごゆっくり〜」

 手を振るナース達に背を向け、サラディンはさっさとエレベータへ向かった。その後を、大型犬よろしく黒 髪の青年が追う。

「…良かった!ご一緒できて嬉しいです」

 見送るナース達の目は、見事な三日月型をしていた。

 

「はい、マーベリックです。…ああ、ルシファード。どうしたの?……え?これから宇宙港って…ちょっと 待…ルーシー!」


* ルシファがギャラ・コン後、デーゲルマルク博士の所 でブレイン・ギアを修理している時の話です。ドラマCDと9・10巻のおま けプチ文庫3冊をを読んでいないと、よく分からないと思います。ごめんなさい。ギャラ・コンの話自体、CD第一弾プチ文庫に出てくる内容だし(これは古張 さんのイラスト集で読めます)。CD第二弾プチ文庫の後書きで、津守さんが「プチ文庫では書けるはずもない今後の伏線」がどーとか「長編書きの性が」とか あるので、どうも雰囲気からして、このデーゲルマルク博士の所へ行ってまた一騒動あるようです。でも、当分書かれないと高をくくって…書いちゃえ〜!!
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