の あ とさ き  -2-

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2007,8/19,Sun

 夕暮れの淡い光が 窓を照らして いる。

 目覚めてしばら く、調光機能のついたガラスが色を変えるのをぼんやり眺めていたサラ ディンは、身体を起こしながらベッドサイドの時計へ目をやった。

 午後六時。早い時 間だが、ルシ ファードは帰って来ている。眠る前には無かった傍らの椅子が、それを物語っていた。聞き耳を立てると、リビングの方から――正確にはキッチンから、調 理しているものと思しき気配が漂ってきていた。

 身体は大分軽く なっている。熱 も引いたようだ。

 ベッドから滑り降 りたサラディ ンは、少し寝乱れた夜着を整え、室内履きを突っ掛けてリビングへ続くドアを開けた。

「具合はどうだ?サ ラディン」

 開くが早いか、待 ち構えたよう にルシファードの声が聞こえた。医師が起き出したのを気配で察していたのだろう。テレパシストには息を吸うように容易いことだ。

 カウンターの向こ うから、いつ でも慕わしい笑顔が覗く。

「――大分良くなり ました。熱も 下がりましたし…ルシファード?」

 呆けたように見つ めていた表情 が、我へ帰る。視線を逸らし、気まずそうに下を向いた。

「あ、ああ。そりゃ 良かった。え えと…その〜…ごめん、ドクター」

 唐突に謝られたサ ラディンは、 不思議そうに目を瞬く。

「何がですか?」

「ん〜…何となく。 俺がガキだか ら、ライラにもサラディンにも手間ぁかけるなと思って」

「…いまさら何を言 うのです?気 味が悪いですね。別にいくら手間をかけさせられても、本当に嫌ではありませんよ。嫌なら、貴方の傍にいません」

 俯いていたルシ ファードは顔を 上げ、にこりと笑う。相変わらず、少年のように。

「食欲は?ドク ター」

「おかげさまで。い い香りです ね、今日は――」

 一歩踏み出した足 が、ふらりと 力を失う。

「ドクター!

 倒れかけた体は、 空中で見えな い手に支えられた。

「大丈夫かッ?!

 駆け寄ってきた相 手の、本物の 腕に支えられ、サラディンは息を吐く。

「まだ…本調子では ないようです ね。きっと眠り過ぎ……ルシファード?」

 広い胸にしっかり と抱きこまれ た蓬莱人は、戸惑い気味に声を掛けた。

 外科医師の、見た 目より細い身 体を抱き締めたルシファードも、胸に押し寄せた“感動めいた強い何か”に圧倒されていた。

 腕の中にサラディ ンがいる。柔 らかな温もり。重ねられた胸の鼓動。


「――あ〜…もぅ、 俺ってホント 馬鹿」

 サラディンの×× 相手出現とい う、僅かな(?!)ことでショックを受け、嫉妬したり、己が怖くなったりして、守ると誓った相手の傍を離れるとは。

「…ったく、自分が こんなに肝っ 玉の小せぇ野郎だとは思わなかった」

 サラディンを元通 りに立たせ、 腕を緩めると、ルシファードの独白の意味を量りかねたのか、琥珀色の瞳は怪訝そうに見上げていた。

「何なのですか?一 体…」

 大好きなアン バー・アイズを焦 点も結べぬ間近から見つめた災厄王は、四日振りに大らかな笑いを取り戻す。

「何でもねぇ。サラ ディンのこと すげー大事だって改めて自覚しただけ。いきなりバックれてごめんな、ドクター」

 一瞬、笑ったよう に見えたサラ ディンの視線が、ついと伏せられる。青緑色の長い睫が僅かに震えている。

 毎度ながら突如と して突き上げ てくる危険な衝動――真珠の光沢を宿した柔らかそうな瞼に口付けたいというような――を、奥歯を噛み締めて堪えるルシファードの耳に、密やかな声が響く。

「正直なところ…も う、あなたが 戻って来ないのではないかと――不安でした」

 無用の心配を、と 笑い飛ばしか けた男を、思いの外鋭い視線が射すくめた。

「あなたは――捕ら えどころがな い。皆に好かれ、愛されて…何処へでも飛んで行ける翼を持っている。けれど、私は違います。保守的ですし、自慢じゃありませんが底意地悪くて人間嫌いで す。押し倒されてしまえば好きでもない相手とでも関係を持ててしまうあなたの感覚は、到底理解できない。先日お話した例え話は、冗談でも何でもなく、現実 に私が日々感じている不安なのです」

 ルシファードは顔 の前へ掌をか ざし、堰を切ったように流れ出したサラディンの言葉を押し留める。

「先日の例え話っ て、押し倒され た時に妊娠させちゃったから〜云々…とかいうヤツ?」

 サラディンは目を 閉じ、落ち着 こうとしているのか、幾度か深く息を吐いた。やがて、自嘲めいた笑みを頬へ滲ませながら、白い面を上げる。

「――はい。いつそ んなことを言 い出されてもおかしくないと……そんな不安に苛まれているなんて、滑稽でしょう?…情けないですよ全く」

 病院ではどんな非 常時にも決し て取り乱すことのない、タフでクールな外科医の瞳は、己の感情を持て余すように心もとなく揺れていた。

「あなたが私を好き だ、大事だ、 一緒にいようと言う度に――私はもっとあなたを好きになって、独り占めしたくて……」

 サラディンは、軽 く首を振って 顔を背けると、ルシファードの腕から逃れるように身を捩った。

「………まだ少し気 持ちが不安定 なようですね。すみません、忘れてください」

「やなこった」

 呆気に取られた医 師が振り向く より早く、ルシファードが彼の首筋に顔を埋める。

 そして、声も出せ ないほどの衝 撃。



 気付くと、ピンス トライプの シャツの胸にぎっちりと爪を立てた自分の指が見えた。

 しっかり十本分、 鮮血が滲んで いる。まだ脳裏に白く紗が掛かっていて、何も考えられない。サラディンはゆるく瞬きしながら、食い込んだ爪を外した。大きくて暖かい手が頬を包み、蓬莱人 の顔を上向かせる。

「あのさ、ドク ター。みっともな くなんてないから、全部話してくれよ。俺、鈍いし、あんたの心は勝手に覗きたくないから、話してくれなきゃ分かんねぇ。どんな感情曝け出したって、あんた はいつ も綺麗だし、カッコイイ」

 力説される言葉の 意味を理解し ようとするように、長い睫がゆっくりと瞬く。

「……それと……あ なたが私の頸 へ噛み付くことと、どういう関係があるのですか?」

 普段は漆黒のスク リーングラス に隠されている日蝕眼が、落ち着きなく左右に揺れた。

「えっとー…たぶ ん、うん。ドク ターを独り占めしたいって気持ちが俺にもあるんだ、と思う」

 怪訝そうに眉をひ そめるところ を見ると、サラディン自身は気付いていなかったのだろう。白く長い首の襟元につけられた、二つの黒子のような、小さな赤い印に。医師が身を捩った瞬 間目に入り、その意味を悟っ たルシファードは、考える間もなく思い切りその上へ歯を立ててしまっていた。

 どーしよどーし よ、と、顔には 出さないものの、初めて“媚香”にヤラレてサラディンにキスしてしまった時くらい、ルシファードは動揺していた。

 大体、服装が良く ない。角度に よって亀甲紋の浮かび上がる青味がかった白い寝巻きは、サラディンの幻想的な雰囲気に似合い過ぎていて、美しく艶かしい。ガウン仕立ての襟元は当然Vの 字型に開いていて、以前ルシファードがやはり噛み付いてしまった例の鎖骨がくっきり露わになっている。

 サラディンはどこ か茫洋とした 表情のまま、ゆっくりとした動きで噛まれた部分へ手を当てた。

 ――指先を鮮血に 染めた、白く 美しい手…。

 それは、ワル ター・シュミット が目にしたらショック死しかねないほど猟奇的なポートレイトだった。まさしく生きたサイコ・ホラー。悪夢めいたその姿は、しかしルシファード・オスカー シュタインの視覚には、喩えようもなく魅惑的で蠱惑的な妖花と映る。

 こと色事に関して は一兵卒より 未熟者な英雄の背を、戦慄と冷や汗が伝う。気付けば、部屋の中は宵闇に沈みかけ、サラディンの真珠色の肌を一層際立たせていた。

 ルシファードの理 性と将来設計 が、空の彼方へ残照と共に消えかけた時――


 ――ピンポ〜ン♪


「あ…」

 我へ帰ったのは外 科医師の方 だった。明確になった眼差しを玄関へと向けて動き出す。

 危機を脱したはず のルシファー ドは、予期していた通りの展開にも拘らず、瞬間的に安堵ではなく怒りを覚えた自分に呆然としていた。


*………ようやっとルシファが怒ったー。

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