歌声
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 初めて彼に会った時の話をしよう。

 それは、春。

 年に一度の会議へ出席 するため移動する途中、麓の村の宿を出たところで心惹かれる声を聴いた。何となく誘われるままそちらへ行くと、小さな噴水の前に、一見して異形と判る二人 が座っていた。

 一人は、女性。

 もう一人は、少年。

 異形と言っても、毛む くじゃらの獣人や四本手の大男、双子の小人や一つ目鬼のようではなく、ごく当たり前な人間の形をしているのだが…何と言うか。

 一人は、陽光を編んだ ような金髪。

 もう一人は、月光を紡 いだような銀髪。

 思わず詩人めいた言葉 を探してしまう、こんな組み合わせが有り得るのかと驚くよ うな彩り。陶製 の人形を思わせる柔らかな肌色。女性は碧玉、少年は翡翠の瞳。 絵画から抜け出たような容姿には、埃にまみれた生成りの旅装束が、ひどく不釣合いに思えた。

 そこで彼等が何をしているかというと、小振りの竪琴を掻き鳴らしながら、聞き慣れぬ歌を唱っているのだった。

 彼等の歌声は、背景に 流れる水音と和して、しかも心震わせる響きを持っていた。意味の分からぬ異国の言葉――にもかかわらず、ふと胸を突かれ涙が滲む、自分に、驚く。

――何だこれは?

 冷静になろうと見回した周囲には、既に黒山の人だかりができている。逃げようにも逃げられない。

――逃げる?

 聴いているだけでいつ しか、己が心を囲むよう幾重にも巻いた鎧を次々剥がれては丸裸にされるような気分。私は空恐ろしい想いに駆られた。

――眩暈がする。これ は…

 手にした杖へ寄りかか るようにして俯き、身体を支える。

――これは、呪歌…だ。

 人の心を揺さぶり、解 放し、時に導き、惑わす魔法の歌。魔の旋律。

 本人達は意識すら していない様子だし、悪意は感じられない。けれど単純に心地よいとか、癒されると言えるような響きではなかった。遥か底まで見通せる深い湖のように青々と 透 明すぎて、やはり何処か空恐ろしいような。

 どうしたものかと思案 していた肩が、ふいに叩かれた。思わず身を竦ませ振り返ったそこには、穏やかな表情をした若い男。

「失礼ですが…アカート 殿下であらせられます…か?」

 茶色い瞳と同色の不精 髯を生やした彼は、潜めた声で静かに訊いた。

「何です?」

 私は眉を寄せて訊き返 した。誤魔化そうとした訳でなく、眩暈の所為で。

「…アカート殿下ではあ らせられませんか?」

 男は小声ながら、先程 よりむしろ確信のある様子で、はっきり訊いた。

「――いいえ。お人違い でしょう」

 否定すると、彼は穏や かに微笑む。

「誤魔化しになる必要は ありません。御事情は伺っています。ただ…私は貴方に付いて従軍したことがあるものですからつい、お懐かしくて」

 失礼しました、と下げ た頭を上げた時には、少し表情が違っていた。ついと差し出された帽子に、ダグは目を瞬く。

「…お代を、頂いてよろ しゅうございますか?あれは、私の――妻子なものですから」

 私はつい、驚きを顔に 出してしまった。

 目の前の若い男は、凛 々しい表情はしていたがさほど二枚目というわけでもなく、不精髯を生やし薄汚れた着物を着て、いかにも地元農民のような野暮ったい空気を身に纏っているの だ。

「それは…お美しいご家 族でうらやましい」

「ありがとうございま す」

 男は悪びれもせず微笑 む。真実なのか、それとも見物人から銭を巻き上げようという小悪党の法螺吹きか。

「…奥様は、どちらの方 ですか?」

 確かめたくて、つい尋 ねてしまっていた。

「え?」

「あの言葉は、初めて聴 きます。この近辺の言葉はあらかた学んだ積りでしたから意外で…何処の言葉なのですか?」

 男は、困ったような表 情で首を傾ぎ、

「あの世、ですか ねぇ…」

 と呟いて苦笑を見せ た。

「俺にも分からないんで す。あそこが何処だったのか。…あいつも話さないし。――もしかしたら、殿下の方が御存知かも知れませんよ?」

「どういうことです?」

 彼は軽く手を振った。

「すみません、集金中な もので。…もし良かったら、後で一緒にお食事でもいかがですか。ゆっくりお話できますので」

 私は一瞬、迷いなが ら。

「…残念ですが、遅刻で きない用向きの途中なので…それこそよろしければ、一月後にここでお会いしませんか」

 男は目を丸くしてか ら、人の良さそうな顔でにっこり笑んだ。

「何だか、一目惚れ同士 の恋約束みたいですねぇ?…いいですよ。分りました。二日待って出会えなければ、お互いそれまでとしましょう」

 そんな約束を交して、 一月後。二人はあっさりと出会えてしまった。いや、四人は…と言うべきか。今度は彼の麗しき妻子も一緒だったから。

 同じ村の同じ噴水の 前、寛いだ様子で座っていた彼は、近づいた私の姿を認め腰を上げた。開いた手を胸に当て礼をしかけて、ちらと苦笑する。何気ない、目上の者に対する仕草。 庶民が魔法使いに対して取る動作としても妥当だったが、彼が「つい」してしまったのには他の理由がある。そんな苦笑の意味にはダグも気付いていた。

「まだ、名前もお教えし ていませんでしたね。…アスク=ヴェルザンディです。よろしく、賢者様」

 私は差し伸べられた手 を握った。

「ダグです。賢者と呼ば れるには未熟なのですが…こちらこそよろしく」

「こっちが、俺のつれあ いと息子です」

 紹介された金髪の彼女 は、鍔広帽子の上から全身がすっぽり隠れる被布を被っていた。帽子の陰で薄く微笑みながら、華奢な手を差し出す。

「エルナです。お初に御 目文字致します」

 柔らかな訛りのある発 音。そして、声。

「…初めまして。先日は 素晴らしい歌を聴かせて頂きました」

「恐れ入ります。…ほ ら、キィ」

 かわいらしい服を着た 少年は、母親の被布の袖を握りながら、くりくりと大きな瞳を私に据えた。

「キィ =ヴェ ルザンディです!よろしくっ」

 真剣な表情で言う少年 に、思わず膝を折る。

「…キィ、君、歌、上手 いのな」

 同じ目線でそう言って やると、キィは、にまっと笑った。

「ったりめーじゃん! 俺、これ仕事だぜっ?」

 胸を張るその様子に、 大人達は失笑する。

「そうだな、確かに」

 ダグが差し出した手を 満足そうに握り、キィは母親を振り仰いだ。

「いい人だよ、たぶん、 この人」

*オリジナルのイラストで、“少年”とあるのはこのキィくんで す。小学生の頃から、私の心に住んでいる男の子。
このお話は、オリジナル長編の番外編という位置づけになります。だからわけわからんだと思います。
つくづく私には文才がないらしく、本編はへろへろへらへら書き直しばかりで全く進みません…。

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