意地悪 〜V〜
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10.Aug.2008.



「ど――――なってんだよクソッ!!」
隣室のモニター・ルームへ入ったルシファードは、そこへ映し出された映像を目にし、危うく操作卓を…いや、モニター・ルームそのものを破壊しそうになった。即座に発せられた強力な思念波が、暴走しそうになった念動力を有無を言わさず抑え込む。
(親父――っ!?)
脳髄を刺すような鋭い痛みに、ルシファードは蹲り頭を抱えた。問いに返事はない。
(何だよ!やっぱ、媚香は親父にも超有効ってことなのか!?)
油断して外科医の傍を離れた己を呪うが、後悔先に立たずである。幼児の頃、父親の浮気現場を目撃した際に匹敵する衝撃と、壮絶な不快感。

――イヤダ、サワラナイデ!

「…ヤメロ」
正に問答無用で押さえ付けてくる力を撥ね退けようと思えば、多分できる。けれど軍人として命令された以上、それが重大な抗命行為になると分からないほどルシファードは子どもでも、馬鹿でもない。そしてかの父親は、肉親だからと言ってそのテの甘さを許すような愚かしさを持ち合わせていない。
軋むほど歯を食いしばった視線の先で、互いに挑み合うようなルシファードのそれとも違う、ひどく優しげなキスを終えた二人は、僅かに唇を離した位置で留まっている。閉じたままの蓬莱人の瞼から零れ落ちた透明な雫が、真珠色の頬を伝う。
(――サラディン?)

息も触れるほど間近な距離で、O2は見えない眼を開く。
「…あの頓珍漢は私の遺伝だろう。辛い想いをさせて申し訳ない、ドクター」
「…だから、慰めて下さるのですか?――罪の意識?」
薄く開いた視界の向こう、完璧な形の唇がにやりと笑った。
「まさか。これは私が"こうしたい"と思うから、している。『罪の意識』などという、まともな感情を持ち合わせていたら、すぐにでも業務に差し支えて困る」
ブラックな響きの低い声に、サラディンも笑った。箍の外れた涙腺から、とめどなく溢れて落ちる涙を切なくも心地良く感じながら。
「…じゃあ、もう少し――」
甘えさせて下さい、という呟きは、再び重ねられた吐息の狭間に消える。


――これは、違う。俺が媚香を嗅いだ時の反応とは、まるで。
文字通り、穴も穿たんばかり食い入るように画面を視ていたルシファードは、男らしく凛々しい眉を限界まで寄せていた。
俺が媚香を嗅いだ時には、とてもこんな、笑って会話するような余裕はない。会話どころか、言葉らしい言葉を発することさえできずに、ただひたすら身体が動いてサラディンを求める。
ならばO2は、何故――?


深すぎもせず、さりとて軽くもない、戯れるような優しいキス。"人でなし"だという息子の評価が信じられなくなるほど繊細な接触に、サラディンは心解かれていた。一世紀以上年下の男ばかりにほだされる己が情けなくもあるけれど、基本的に不老不死の蓬莱人にとってそれは瑣末なこと。それよりも、身体の奥底から、その蓬莱人の享楽的な本性が頭をもたげてくる感じが気になった。やはり最初の見込み通りこの男は、本来の蓬莱人らしい恋愛をするにふさわしい逸材。狂おしく恋しているあのひとよりも、この男の方が――
互いの離れた唇から微かに上擦った息を吐いて、ゆるりと瞼を開く。
「いいんですか?…大切な方がいらっしゃるのに」
微妙に焦点の合わない漆黒の瞳を覗き込む。
「…私とあいつは、そういう類の関係性ではないのでね。全く問題ない」
「悪ふざけはいけない、と釘を刺されたのでしょう?」
O2は唇の片端を上げた。
「…あなたの気持ちを知ったら、あいつだって何も言えないと思いますよ。包容力のない息子の不始末ですから」
「――私がとりわけ意地っ張りなだけ、という気もしますが…」
分かっている。カジャやニコラルーンをはじめ、己の保護対象と認識した相手へ彼が向ける優しさを間近に見ているのだ。処世上手なラフェール人のように甘えてしまえば、優しくして貰えるのは重々承知だ。
だからこそ。
絶対にしたくない。
彼の"唯一"の"特別"であり"一番"である自分が、その他大勢と同様彼に保護され慈しまれる対象になるなど――冗談じゃない。
密着している相手の思考など、手に取るように分かるのだろう。超A級テレパシストがまた面白そうに喉の奥で笑った。
「…なるほど。確かにあなたとは気が合いそうだ」
「ここまでしておいて、今さらそれですか?自慢じゃありませんが、私は初めて会った時から、貴方を気に入っていました」
吐息の触れる距離で囁く戯れの睦言。
「そういう重大事項をあっさり告白しないで貰いたいな…息子に殺されてしまう」
「おや…受けて立って下さらないのですか?」
琥珀の瞳が、思わせ振りに細められる。サラディンはO2の白い頤に、ルシファードが絶賛する芸術品のような指先を掛けた。
「先日の特別任務の折、実は貴方に乗り換えようかと本気で思ったのですけれど…」
「それは――光栄だと申し上げれば良いのかな」
「まさか、迷惑だとでも?」
「いや……困ったな、少し…」
私も本気になりそうだ。という"言葉"は、三度目に重ねられた唇から、直接サラディンの思考に流れ込んで来た。


――これは…媚香じゃ、ない?
画面を注視していたルシファードは、遂に上記の結論へと至る。
モニターの中の二人、特にO2には、何か抗い難い力に操られているような様子は全く無く、普段通り余裕綽々としている。
じゃあ、何故。
どうして二人はキスなどしているのか。
「…意地悪?」
俺が不愉快になると踏んで、嫌がらせをしているのか。でも、どうして、何故わざわざ、そんな?――理解できない。
感情回路のブレーカーが落ちて思考がシャットダウンする。頭の中で点滅するエラー表示を消そうにも、消せない。金縛りに会ったように、不快な映像を流し続けるモニターへ釘付けになっている。
脳裏でいつかの記憶が自動再生された。

同じ形の頭蓋骨なら、少なくとも私と感性に共通項のあるあなたのお父さまを選んだほうが、心安らかに生きて行けそうです――

もしかして…一番、乗り換えた?サラディン。

スクリーン・グラスの奥で、漆黒が黄金へ変わる。


不意に唇を離したO2が、窓を模したモニターを見遣る。
「…どうしました?」
キスの巧さも遺伝なのだろうかと融けた頭で非科学的なことを考えながら、サラディンは首を傾げた。
「なに、馬鹿息子が…」
O2は、冷やかな目元を優しく緩めた。
「怒っている。あなたが私に乗り換えたのではないか…とね」
ワイシャツの背へ回していた腕を解き、サラディンは溜息を吐く。
「…蓬莱人の私の全身全霊をかけた誘惑にものらくら逃げてばかりいるお子ちゃま大尉がこの期に及んで一体何を言う権利があるのです。こんなことで怒るくらいなら、さっさと堕ちて来れば良いものを。…到底理解できません、彼の想いなど」
プイとよそを向いた外科医に、O2も頷く。
「全くその通り。我が息子ながら、弁護の仕様もない。――では、どう答えますか」
優しげな微笑のままO2はサラディンへ向き直り、青緑の髪をひと房掬い取って軽く唇に当てた。蓬莱人が次の答えを返すには、しばし躊躇いがちの間が空く。
「もし……乗り換える、と答えたら――どうなりますか?」
何しろ惑星を砕く力の持ち主だ。自棄になって癇癪を起されると、困るどころではない。
「少々厄介な事態になるでしょうな。面倒を防ぐために、息子の心臓をサイコ・ショックで一旦止めてしまうのが最善の策だ。…あいつほどの念動力と賦活能力の持ち主に有効な手段かは分かりませんが」
予想通りの答えを返され、サラディンは呻く。
「…全く非常識極まりない!もし私が本当に乗り換えたとして、その相手を抹殺したとしたら、彼は私の"一番"の相手を殺した、最も憎むべき敵となるのに……そんなことも分からないなんて、まるで幼児――」
はっとして言葉を切る。
「ご名答」
低い声に視線を上げた。底の見通せない暗黒の深淵が笑っている。
「物心つく前に"力"を封印され、あなたのお陰で目覚めたのがつい最近…こと情緒面に関して、あいつは間違いなく餓鬼だ。大好きな人間の手を握って離そうとしない――ね」
サラディンは思わず自分の掌を見ていた。
あの時、白い光の中で、差し伸べられた大きな手を取った。

ずっと、一緒にいようぜ。ずっとずっとずっとずーうっっっと――…

抱き締められた、広い胸の温もり。
枯れた涙を流して縋った。消して欲しい。この船も、あの男も、全部。
黄金の目をした男は笑って――"一番"の願いを叶えた。


先程とは意味の違う涙があふれて真珠色の頬を伝い、見つめていた掌にぽたりと弾けた。
「……全く、詐欺……ですよ、あんな図体をして………中身はコドモだなんて…」
知らず、媚香が漂い出ているのに気付く。けれど、対象は目前の魅力的な男ではない。
「堕としたがっている私が――馬鹿みたいじゃないですか…」
白い手でそのまま目元を覆った。O2に肩を引き寄せられ、柔らかな感触が額へと触れる。
「これが、媚香か……なるほど。本当に良い香りだ」
心拍数の上昇。血流の増加。全身の神経が刺激されているのが分かる。まるで香辛料か、吊り橋効果だな。それから――
あ、マズイ。
そう思った時にはもう遅かった。咄嗟にサラディンの身体を抱き寄せて庇う。どかん、と派手な音がして、部屋が砂埃に煙る。
窓を模したモニターの壁があった筈の場所から姿を現したのは、長い黒髪に黄金の眼を光らせた黒い軍服姿の大男だった。爆風で乱れた銀髪を軽く梳き上げながら、向き直ったO2は苦笑に顔を歪める。
媚香によって脳の一部機能が麻痺させられた。すぐに気付き補おうとしたが、力の弱まった一瞬を、怒れる息子は逃さなかった。
「…一々騒がしいなお前は。もう少し大人しく立ち回ることはできないのか」
「…っるせェ。復讐で太陽系一つ消滅させようとしたあんたが言えることか」
はっきりと刺すような敵意を向けられたO2は、その"感触"に不敵な笑みを浮かべる。何だかだ言ってパパっ子の彼が、オリビエ・オスカーシュタインを敵と認識するのは初めてのこと――いや、二度目か。
最初は、蓬莱人の生き残りであるサラディンの体細胞入手を"希望"した時だ。ほんの数秒だったが、激しい敵意を画面の向こうから叩き付けて来た。封印を解く鍵となる相手――親兄弟親戚親友知人とは違う、その人を守るためなら世界の全てを破壊しても構わないと思えるほどの"唯一人"を見つけたらしい息子に、喜びと一抹の寂しさを感じたものだった。
「私は軍に入ってこの方、始末書を書いた経験はないぞ。一枚も」
何をか言い募ろうとしたルシファードの耳に、清涼感のある声が触れる。
「…ルシファード?」
O2の身体の陰から歩み出た蓬莱人が、琥珀の瞳で怪訝そうに彼を見る。そちらへ向けられた黄金の目が微かに眇められ、次にはっと見開かれた。
「あ、媚香…」
砂埃に混じった仄かな香りに気付き、金色が急速に本来の黒を取り戻す。
(――え…ってやっぱ、媚香のせいだったのか?)
え〜と、それじゃ、あ〜〜〜…と戸惑うルシファードの視界で、琥珀の瞳がぱちぱちと二・三度瞬く。
――マズいよこれは。
勝手にサラディンへと歩み出す身体に、ルシファードは内心パニックを起こしていた。
自分より華奢な身体を包み込むように抱き締め、緩く開いていた唇へ唇を重ねる。
「…っ」
いきなり深い侵入に驚いたサラディンが、喉の奥で呻く。
「…ほぅ」
傍らに立つO2が、面白そうな呟きを漏らした。理性の残っているルシファードは、文字通り声にならない声で必死に叫ぶ。
(おい、親父!"ほぅ"とかって感心してンじゃねぇよ!頼む、ぶん殴ってイイから、俺を止めろっっっ!)
(何故だ?お前、嫌がってないだろう)
(だ〜〜〜からヤバいんだって!!このままじゃ俺、ドクターを…)
(彼も嫌がっていない。…分からないわけではあるまい?)
柔らかくしがみついてくる、しなやかな手の感触が、父親の言葉を真実だと伝えてくれている。
(いやあのだから、そーゆぅ問題じゃなくって、つまりとにかく〜っ)
返され始めた相手の反応に、コントロールの利かない腕はさらに力を込める。
(安心しろ。媚香に対するお前の身体的反応は、私を介し全て記録されている。予定外だが実験の役に立ったから、今回の不始末は不問にしてやろう)
(違うだろっ!ぜんっぜん問題点がズレてるだろ――っ!!)
サラディンの顎の下を緩く吸ったルシファードは、そのままキスを白い首筋へと落として行き…。
(こ、このっっっ変態おやぢ〜ッ!!)
「あ、待て」
泣き声のテレパシーを最後に、黄金色の燐光に包まれた二人の姿は、その場からかき消えた。後に残されたのは、見るも無残に破壊された部屋と、腕組みをした銀髪の男。
「やはり始末書を書かせるか……ふん、つまらんな」
大丈夫ですか少将殿ぉっ!と駆け込んで来た部下たちに、大したことはないと半分暗示を掛けて片付け始めさせる。
一体二人は何処へ消えたものか――。
外していたスクリーン・グラスを着け直し、密かに微笑ったO2は、繋いでいた"糸"を切り、探査の網を外した。



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