意地悪 〜U〜
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30.July.2008.



着いたのは、瑠璃宮とバーミリオン星との丁度中間の位置にある、軍の研究施設だった。
伝説の少将が訪れるからか、研究員はもとより軍人たちの間にも、言いようのない緊張感が漲っている。
別種族の異星人を装ったサラディンは、ルシファードに先導され、用意されたゲストハウスへ足を踏み入れた。研究施設などという物見高い人間の多い場所で不用意に姿を曝せば、第二のアル・ジャハルを生みかねないというO2の配慮だった。
暑苦しいマスクを外し、息を吐いているサラディンの顔を、外した仮面を手にしたルシファードがまじまじと見つめている。
「…何です?」
視線に気づいたサラディンが問う。
「いや…やっぱこんな実験止めようぜ、ドクター」
不思議そうに瞬く琥珀色の猫目。――ああこの人、こんなに大人でカッコイイ男なのに、どうして俺は、何か可愛いとか思っちゃうんだろ。
「何故?ここまでして頂いて、今さら止めますなんて有り得ないでしょう」
「むしろ"ここまでしてくれてるから"――だよ。親父の奴、やっぱ趣味と実益兼ねるつもりだぜ。本気で結果を取るつもりだ」
「当然でしょう?超多忙な銀河連邦軍情報部部長が、何の利益もなくお遊びで動く訳ないと思いますが。私もそのつもりで話を持ちかけたのですし…」
「あんた、自分を研究対象にされるの、嫌いじゃなかったか?」
研究施設ではむしろ目立たない隠れ蓑として着た白衣の肩を両手で掴み、顔を覗き込む。
「言ったでしょう。自分で自分に興味が湧いたのです。今まで、そう、この二百二十年余りは、そんなことを考える余裕すらなかった。初めて自分自身に、科学者としての興味が湧いたのですよ」
彼が歩んできた苦難の道がうかがえるその台詞に痛みを感じたルシファードは、自分より一回り小さな身体をぎゅうと抱き締める。
「俺が…」
「ルシファード?」
「俺が、もっと早くに生まれてりゃ…」
二百二十七年前から、あんたと一緒に居たかった。寂しくないように、傷一つ付かないように、守りたかった。――普段なら考えもしない、そんな非現実的な願いを抱く自分を疑問に思う。取り返しようのない過去のことなど、悩む性質では無かった筈なのに。
大体、二百年余の苦難の道があったればこそ、堪らなく魅力的な彼自身が形作られたのだろうし、過去の傷も含めた彼の強く美しいあり様に自分は魅かれているのだから、もし二百年前に生まれていたら…などという仮定は、本当に栓がない。
この感じは――巷で大流行している時には興味がなかったのに、後からハマってアイテムとかもレアになってて、何だか悔しい思いをするあの感じ――って、いやいや、それは違うだろう。
己のオタク傾向には自覚があっても、恋愛に自覚のないあんぽんたんは、またとんでもなく間違った解釈をしそうになる。
その時、カランカランと古風な鐘の音を模したインターフォンが鳴った。開いた扉から入って来たのは、もちろん泣く子も黙る銀髪の情報部部長、その人である。
「…ほぅ」
丸きり小さな子どもよろしく、大事な宝物を抱え込んで眼差し鋭く振り返った息子に、冷たい雰囲気を漂わせた男はうっすらと微笑む。
「邪魔をしたかな」
「…俺らの状況なんぞこの星に降りる前から分ってる癖に、白々しく言ってんじゃねぇ」
「この惑星に降りる前から探査していたのは確かだが、何もお前たちに限ってのことではない――それより、ドクター・アラムートにご挨拶申し上げたいのだが」
「…っルシファード!」
力強く包み込む長い腕を振り払い、素早く身なりを整えた外科医は、清々しい笑顔で手を差し出す。
「お見苦しい所をお目に掛けて申し訳ありません。この度は、私の個人的なお願いに応じて頂き、心より感謝申し上げます」
「ご丁寧にどうも。ですが、私どもの利害が一致したまでのこと。礼には及びません」
緑の軍服と白衣の二人は親しげに握手を交わす。ルシファードは彫像のような無表情で、動かない。
「早速で申し訳ないが、時間がありません。これの母親から、余計な意地悪をして遊んだら赦さないと脅されているものでね。ドクター、こちらへ」
親指で息子を示したオリビエ・オスカーシュタインは、隣室へとサラディンを誘う。二人の後に付いたルシファードが低く呟いた。
「…さすがマリリアード。あんたの極悪な性格を正確に把握してるぜ」
「タチの悪さではあちらの方が上手だからな。――ところで、オスカーシュタイン大尉」
 おもむろに振り返ったO2の声は、威厳ある上官のそれに変わっていた。条件反射的にルシファードは踵を合わせる。
「イエス・サー」
「君の今回の任務内容は」
「…ドクター・アラムートの移動時の護衛と、快適な渡航への配慮です、サー」
「そうだ。実験自体への参加は含まれていない。終了まで館内にて待機し、休憩を取るように」
兄弟のように良く似た二つの顔の表情こそ変わらなかったが、辺りを包む空気がざわりと不穏に揺れた。部屋の照明が急に薄暗くなったように思い、サラディンは白を基調とした優雅な作りの室内を見渡したが、どうやら錯覚らしい。
…そう言えばいつだったか、念動力の不完全燃焼を起こしたルシファードを怒らせ、リニアカーの車内で襲わせそうになったことがあった。その時も、今のように周囲が暗くなったような気がして――。
その意味を察したサラディンは、静かに微笑む。
怒っているのか。釘を刺されてもそう易々と諦めない父親の意地悪に。
かっ、と再び踵を合わせ、ルシファードは額へ右手を当てた。
「了解しました。サー。…ですが、実験に入る前に一つお願いがあります」
「…何だ?」
「母が少将殿に言われた内容を正確に教えて頂きたいのですが」
どことなく不愉快そうに顔を背けたO2から流れ込んできた映像にルシファードは息を呑む。相変わらずこの上なく美しく――そして、剣呑な笑顔。
『実験以外でふざけてルシファードの大事な人にエロ親父みたいなマネこいたら、赦しませんよ?』
灰色の瞳は刃のような光を湛えている。
『"エロ親父みたいなマネ"とは、また曖昧な表現だな。そんな約束は――』
『具体的に言ったらあなたは抜け道を考えるでしょう。可否の判断は私がします。よくよく自重なさって下さいね』
記憶を見ているだけのルシファードですら気圧される美貌の迫力に、しかしさすが情報部部長は怯まない。
『まるで夫の浮気を危ぶむ妻のような言い草だな』
極寒の沈黙が降りた後、マリリアードが凍りついた笑顔のまま問う。
『――…てめェ、も一遍死んでみるか?』
記憶の中のO2は溜息を吐いた。その秘められた"感情"に触れたルシファードは怖気立つ。

――心底から湧き上がるような喜び。

(…っ!!マ、マゾだ。真性のマゾだ親父!)
実の息子でも心理的に三百メートル程退きたくなるような感情を、先刻承知のマリリアードは鼻であしらう。
『何喜んでいるのですか、気持ち悪い。それより、さっさと約束なさい。悪戯しないで真直ぐお家へ帰って来る、と』
わざと幼児へ対するような言葉遣いで念を押す母親も、確かに性質が良いとは言えない。
『分かっている、マリリアード…安心しろ、私はお前以外の人間に興味はない』

「うげぇっ!」
「…どうした、オスカーシュタイン大尉」
涼しい顔でしれっと言い放つ父親の顔をつい睨んでしまう。記憶の中のマリリアードは音もせんばかりに総毛立ち、『その気色の悪い技は永久に封印しろと言った筈でしょう!』と叫んでいた。…後悔先に立たずとはこういうことか、とルシファードは暗澹たる気持ちになる。
(――親父にパーヘヴなんぞ、見せンじゃなかったなぁ…)
ルシファードは、多大なる迷惑をかけた母に心中詫びながら、同時に与えられたもう一つの情報に安堵していた。
『彼のそれは目を見てナンボの能力みたいですから、オリビエには効かないように思いますけれどねぇ…』
そうだった。超強力なテレパシーのおかげで不自由がないためすっかり忘れていたが、オリビエ・オスカーシュタインは盲目なのだった。
(俺だって目を見なきゃセーフなんだから、こりゃたぶん大丈夫)
驚くほど肩の力が抜けるのを感じ、ルシファードは己で思っていた以上にこの件に関してストレスがあったのだと気付く。
「――どうした馬鹿息子」
「るせェ糞親父。…いえ、ありがとうございました少将殿。では、自分は隣室にて待機しております。ご用の際はお呼び下さい。――ドクター・アラムート」
黒髪の大悪魔は、どこか訝しげにしている外科医へ向き直った。
「ドクター…何かあったらすぐ呼んでくれよ。飛んで来るから」


シャツにスラックスというラフな軽装でこの男と二人、テーブルとソファーの置かれた狭い部屋に居るのは、やはり今までになく唐突で不思議な気がする。本物の窓と見紛う壁面モニタと片隅に飾られた植物。部屋は小さいなりに居心地良く整えられている。
「始めますか、ドクター・アラムート」
サラディンは窓へ向けていた視線を戻し、数メートル離れた位置に立つO2へ歩み寄る。
「…スクリーン・グラスを外して頂いても宜しいですか?」
返事の代わりに眼鏡を外した男の瞳は、漆黒。想い人のように金環こそ無いが、宇宙を思わせる深さは良く似ている。顔立ち自体も瓜二つ――だからこそか、纏っている空気の違いが際立つ。
冷たい純白のブラックホールと、漆黒の太陽。
「…ドクター?」
ルシファードのそれよりほんの少し薄い肩に額をもたせかけると、落ち着いた声が問うた。
「すみません、実験の前に…」
澱のように淀んだ疲れを感じ、サラディンは青い睫を伏せる。
「少し……甘えさせて下さい」


左肩へ載せられた青緑の髪に手を添える。マリリアードのそれとはまた違う、細くすべらかな肌触り。幼い頃のルシファードの髪の感触と、少し似ている。
「すみません…」
大の男に縋られているのだが、溜息交じり呟かれる声を耳元に聴いても、不思議と嫌悪感は湧かない。
「私が甘えられる相手など、そうはいないものですから…」
「――息子が未熟者の役不足で申し訳ない」
言いながら、右手で自分のそれより華奢な腰を引き寄せる。顔を上げたサラディンは、ひどく歪んだ泣き顔で笑った。首を振り、再び肩口へ顔を伏せる。
何も言わずとも、超A級テレパシストには彼の気持ちが手に取るように分かる。
猛烈な自己嫌悪。
O2にもひどく馴染みの感情だった。
落ち込んで慰みに手を出した揚句、子を産ませ、更には歪んだ家族という形で、宇宙一大事な相手を己の傍に縛り付けた。種族の使命から解放された彼を自由に羽ばたかせてやりたいと思う反面、今度こそ独り占めしたいという欲望に勝てず、結果何処よりも小さい家庭の檻に押し込めてしまった。
狭量で我儘な自らへの失望と嫌悪。
お為ごかしの慰めなど必要ない。
添えていた手で軽く髪を引き、顔を上げさせる。間近に覗く焔色の瞳は、確かに思考停止しそうなほど魅力的に見えた。普段は揺るぎない強靭さを示す眼差しが、今は儚く頼りなげに揺れている。
ごく自然に。
二人は唇を重ねていた。


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