意地悪 〜T〜
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30.July.2008.



 清々しく甘い芳香。…もはや馴染みの香りだ。
 柔らかな唇を貪ることに夢中になっていた男の首に、鋭い痛みが走る。瞬間正気を取り戻したルシファードは10メートルほども飛び退き、勢い余って強か背を壁へ打ちつけた。
「――…どーしてあんたは、こういうシャレにならん悪ふざけをするんだよ、サラディン!」
 固く目を瞑った彼の抗議に、蓬莱人は悪びれもせず答える。
「少し、確かめたいことがあったので」
「って何!?」
「些細なことです。――あなたは以前、『ムリヤリその気にさせるな』とか『レイプするところだった』等と仰っていましたが、果たして本当にその気になっているのか…と、ふと疑問に思いまして」
 暗く閉ざされた視界の向こうで、蓬莱人は優雅に微笑む。
「〜〜〜っ…それを確かめるために?」
 わざわざ、擬装用の薔薇まで買って部屋を飾りつけたと言うのか。
 確かにそうでもしなければ、薔薇の香りがした時点で警戒して、不用意に相手の眼なんぞ見なかったけれど。
「はい」
 嘆息したルシファードは、強張った体の力を抜いた。ここで激しく抗議したところで、柳に風と受け流されるに決まっている。とりあえずは、正気に戻してくれただけ良しとするしかない。
「……で、お気は済みましたか、ドクター」
「ええ」
 満足そうで意地悪な笑顔が脳裏に浮かぶような声だった。
 いや、そりゃあんたは確かめて満足してOKかもしれないけど、その気にされちゃった俺の身体の方はどう始末すりゃいいわけ?
 思い切りトホホな気分でルシファードは嘆く。
「地球系人類には自由意志を奪うという形で作用する私の媚香が、何故あなたに対しては媚薬として効いてしまうのか…興味がありますね」
 ふむ、と一人ごちたサラディンの気配が踵を返した。
「…サラディン?」
 問いかけにも答えず遠ざかる足音。何となく嫌な予感に、ルシファードは眉をひそめる。しかし二度目に問うた直後、扉の開閉する微かな摩擦音がした。
「サラディン!」
目を開き、閉じた扉へ駆け寄る。廊下へ出た瞬間、玄関の扉が閉じた。
単純馬鹿な頭の中を疑問符が飛び交う。謎めいた蓬莱人の考えは分からない。分からないけれど――とにかく嫌な予感がする。そして自分のこのテの予感は、遺憾ながら大変当たる確率が高い。
今またサラディンの目を見れば、自分は再び彼を押し倒してしまう。それも恐らく、場所も弁えずに。そう考えて一瞬躊躇したものの、背に腹は代えられぬ、とルシファードは走り出した。
廊下には、既に蓬莱人の姿はない。エレベーターへ向って走りながら、携帯端末を取り出す。短縮の一番を押し、数回コールの後、先程とは打って変わった硬質な声が応じた。
『はい、アラムート』
「サラディン!一体どうしたんだよ、急に出て行って」
『ルシファードですか…いえ、別に大したことじゃありません。科学者としての好奇心が疼きまして――気にしないで下さい』
「いや、気になる。何か嫌な予感がするんだけど、一体どこで何するつもりだ?」
『…いえ、ちょっと亜空間通信を』
"嫌な予感"が朧気ながら形を現わす。
「――ちょっと亜空間通信…って、誰に?」
『……あなたのお父様は、惑星瑠璃宮の銀河連邦軍本部にいらっしゃるのですよね?』
問いを問いで返され、意図を察した先ラフェール人の声音は自然に一段低くなった。
「お父様…って、まさか――」
ルシファードを乗せた鉄の箱が動き出し、電波が乱れ、途切れた。
「ちょ…っ!」
思わず端末を握り潰しそうになり、慌てて手を開く。今の話の流れで親父に電話って、まさかサラディン…。
1Fへ降りて即座にかけ直すも、電源オフで繋がらない。嘘だろ――っ!?と内心悲鳴を上げつつ、焦燥感に駆られながら車を呼ぶ。ちょうどサラディンが乗って行ってしまったらしく、宿舎の前に常時一台は止まっているリニアカーが見当たらない。
――くそっ、こうなったら飛ぶか。そうすりゃ先回りできるし。
端末を持ち直し、これも慣れた番号を押す。
「…メリッサ、勤務中にすまない。いや、少しそのまま切らないでいてくれるか?……よし」
端末の接続を道標に、跳躍の座標を定める。
「これからちょっと野暮用でそっちに行くから。ああ…じゃ、またな」
通信を切った瞬間飛んだ場所は、通信課の屋上。吹きすさぶ風の中聳え立つ巨大なアンテナを一瞥し、ルシファードは出口を探した。
しかし予想に反して、いくら待っても蓬莱人はその姿を見せなかったのだった。

ルシファードは知らなかった。
軍病院にも、普段は使われない開かずの間と化している緊急用の亜空間通信設備があることを…。



『あなたから亜空間通信とは、一体何事ですか?ドクター・アラムート』
思い人のそれと瓜二つの顔が、冷やかで人を食ったような、全く違うタイプの微笑を浮かべている。
「こんにちは、オスカーシュタイン少将。大変お忙しい所を、私事でお呼び立てして申し訳ありません」
サラディンも戦慄の美貌でにっこりと微笑み返す。
『いいえ。いつも愚息が一方ならずお世話になっているのですから、これしきのこと、恩返しにもなりません。…で、ご用件は何ですかな』
「すみません、本当に下らない内容で恐縮なのですが――…」
今までの経緯をかいつまんで説明すると、スクリーン・グラスの下の整い過ぎた口元が緩み、片端を上げていかにも悪そうに笑った。
『それは、実に面白い――いや、興味深いと言うべきですか』
「ええ。以前は不思議に思うばかりだったのですが、ふいに科学者としての好奇心を呼び起されまして。ルシファードの話を聞いた限りでは、あなた方情報部も私どもの能力に無関心という訳ではないようでしたから、これは利害が一致するのでは…と」
『つまりあなたの、あなた自身に対する研究に情報部として協力せよ――と?』
探るような問いかけに、青緑の髪の麗人は微笑みを深くする。
「いいえ。ごく簡単に申し上げれば、他ならぬあなたに私の媚香を試させて欲しい…と、そういうことなのですが」
『――ほう』
頬杖を突いた男の笑みが、冷やかなそれから、ぞくりとするような色気を漂わせたものに変わる。
『それはまた、面白い』
「如何ですか?」
『拒否する理由は思い当たりません。個人的にも興味がある。ぜひ、協力させて頂きましょう』
「ありがとうございます。では…」
『申し訳ないが、私がそちらへ出向くのには少々無理がある。面倒だがこちらへご足労願えないだろうか』
「…もちろん、構いません」
情報部部長は重々しく頷き、肘掛けに突いた両手を胸の前で組んだ。
『では、本部からの特別任務――とでも理由をつけて、すぐ迎えを遣らせましょう。ついでに、そちらの私とよく似た馬鹿を護衛に付ければ、道中も安心です』
琥珀色の両目が一瞬、驚いたように見開かれ――融けるように悪戯っぽい笑みに変わる。
「…分かりました。重ね重ねのご配慮、感謝します」
『なに、当然のこと。スケジュールが確定次第、今度はこちらからご連絡します。では――お会いできる日が楽しみです、ドクター・アラムート』
「ええ、こちらこそ。オスカーシュタイン少将…では、また」



「あンの、糞親父――――ッ!!!!」
気づくのが遅かった。遅すぎた。
軍病院の通信室の存在をメリッサから聞き、ルシファードが駆けつけた頃には既に通信は終わり、外科医は主任室で優雅にハーブティを飲んでいた。息せき切った男の様子に首を傾げ、さも当然のように茶を勧められる。
「サラディン、親父と話したのか!?」
媚香の効力が切れているのを確認し、身振りで差し出されるカップを断りつつ、兎にも角にも聞くべきことを訊く。
「はい。お元気そうでしたよ」
柔らかな笑顔に見蕩れそうになるのをぐっと堪えて首を振る。
「元気じゃねぇ親父なんて八つ当たりとかとばっちりとか考えると想像するのもヤだけど――じゃなくて、何話したのドクター!」
「大したことじゃありません。私自身に興味が湧いたから、実験に協力して下さいとお願いしました」
――実験?
嫌な予感が、ざわわと英雄の背筋を這い上がる。
「サラディン……その、実験って…?」
「媚香の特殊な効果があなただけのものなのか、それとも、あなたの種族に対するものなのか、確かめたいと思いまして」
透明なカップをソーサーへ置いたサラディンは、譬えようもなく綺麗に笑う。
「…それって、つまり、親父に――」
唾を呑み、恐る恐る確かめようとした大尉の携帯端末が鳴る。舌打ちしながら出た相手は、懇意にしている基地司令官だった。直後、今季三度目となる"特別任務"を言い渡されたルシファードは、思わず上記の暴言を吐き捨てたのだった。



出発までの三日間、ルシファードは空前絶後に不機嫌だった。
別に誰かへ当たるわけでもないが、何しろ笑わない。無表情。徹底的に事務的、機械的。
友人たちが気味悪がるのも構わず、己の思考に没頭している。ライラにデコピンされても無表情に額をさすり事情も言わないので、終いには放って置かれた。
当然だろう。誰だって、父親が自分の一番の相手に向って発情する様など、間違っても見たくない。命令を受けた外科主任室で、ルシファードはサラディンに取り縋った。
「大丈夫ですよ。私を襲っている時のあなたの顔ときたら、いっそ完璧なくらい無表情ですから。オスカーシュタイン少将に媚香が同様の効果を発揮したとしても、見苦しい様にはならないでしょう」
そーゆう問題じゃねぇだろ、とルシファードが言い募れば、ではどういう問題だと言うのです?と冷ややかに返される。
分からない。よく分からないけれど、ものすごく嫌だ。
「…あんたは俺の宝物だ。あんただって、自分がすっげぇ大事にしている宝物を他の人間に触られたら、嫌だろ?」
「ほぅ、私をあなたの所有物だと言うのですか?」
琥珀色の目が眇められる。
「違う――いや、俺はあんたのものだけど…」
混乱して、言葉が続かなくなる。所有物扱いするつもりなどない。けれど自分はサラディンのものだ。じゃあ、サラディンは?
「以前にも言っていましたね…あなたは私のものだ、と…」
「ああ、俺はあんたのものだ」
「何一つ私の思う通りにはならないのに?」
絶世の美女でも顔色を失うほどの美貌が、苦い笑いに歪む。
「思う通りにならないって、何が?あんたは俺をどうしたいんだ」
切なそうな眼差しが伏せられ、サラディンは緩く首を振った。
「言ってくれよ、サラディン。俺、鈍いから、ちゃんと言ってくれなきゃ分からねぇんだって」
躊躇いがちに開かれた唇が、何事か紡ぎかけて、また閉じられる。とっさに抱き締めてその唇を塞ぎたい衝動に駆られる。まだ媚香の効果が残っているのだろうか。その衝動に従うことこそ、相手を満たすことになるのだと朴念仁の大尉は気付かない。
「――何か、妙な話になってしまいましたね。お話した通り、私は実験をしてみたいだけで、あなたのお父様とどうこうなろうという訳ではありません。あなたのお母様もいると言うのに、妙なことはしませんよ。安心なさい、ルシファード」
一転して落ち着いた口調で宥められ、ルシファードは二の句が継げなくなる。
「けど――」
「一体何をそんなに気にしているのですか?ルシファード。変ですよ」
そう言って微笑まれてしまっては、最早口を噤むしかない。それでも、大きな魚の骨が刺さったような不快感は、いつまでも拭えなかった。
そいうわけで、出発のその当日まで、ルシファードは幻の魚の骨とのメンタルな戦いを強いられたのだった。


いざ迎えの宇宙船に乗ってしまうと、ルシファードは開き直った。自分が傍にいるのだから、媚香に誘われた父親が妙なことを仕出かす前に止めればいいのだ。そうと決めたらライラの折り紙付き鳥頭、切り替えは早い。ここぞとばかり厨房を占領して腕を振るい、朝昼晩三食デザート+お茶菓子と、蓬莱人の口に入るものは全て作った。
サラディンが笑っていれば、自分も嬉しい。サラディンが不幸ならば、何としても幸せにする。
夕食後、三味線を爪弾く蓬莱人の傍らで、真白い光の中誓った想いを改めて噛み締める。だのに――何故か時折、例の幻の骨がちくりと喉を刺す。
俺は彼の傍に居られれば幸せだけど、サラディンは……違うのだろうか?

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