昼下がりの士官食堂。
見慣れた超絶美形を前に、いつ話を切り出そうかと考えあぐねていたライラ・キムは、相手がまた不注意にも飲みかけのグラスを倒したのをきっかけに、つい に口を開いた。
「…ねぇ、ルシファ。あなた、一体どうしたって言うの?いくらギャラ・コンが近いからって、上の空にも程があるわよ」
お絞りで手際良く零れた水を拭き取りながら、彼女は相変わらず表情の冴えない上官に問うた。物を倒す、他人とぶつかる、階段を踏み外す――など、一つ一 つはごく些細なものだが、今日だけで小さなミスが十三回。いずれも普段の彼なら有り得ない類の行動であるが故に、その異常さは明らかだった。
「ん〜…」
訊かれた当人は、心配する彼女の気持を知ってか知らずか、曖昧に答えながら倒れたグラスを縦に戻す。そんなルシファードを、ライラは大きな瞳を更に丸く して見つめた。
「まぁ、珍しい。あなたが言葉を捜すなんて。動物的な反射神経回路しかないと思っていたけど。――て、ことは…ドクター・アラムートと何か あったのね?」
「どうして分かるんだ?」 不思議そうに問い返されて、ライラは溜息を吐いた。
「…あなたの傾向と対策を完全マスターしている私に対して、何を今更。あなたを上の空にさせるのも、そんな風に悩ませるのも、ドクター以外に ないじゃない」
「へぇ、そうか?」
この男は…二十万人消しておいて、まだ分からないのだろうか。
「――鈍感もそこまで行くと、勲章を貰っても良いんじゃないかって気になってきたわ。…で、一体何があったの?」
ライラはしばし、この少年のような男のカウンセラー役を引き受けることに決める。
「別にケンカとかしたわけじゃねーんだけど…三日前の夜、俺がギャラ・コンに行く準備をしてたら、ドクターが――」
「――…楽しそうですね」
いつの間にか戸口に立っていた蓬莱人が、静かな声で言った。振り向いたルシファードは、大好きな麗人の姿を認め破願する。
「うん、も、すっげー楽しみ!」
まるっきり遠足前の子どもよろしく、うきうきと答えるその様子に、サラディンの表情が曇る。
「…寂しいと思うのは私だけでしょうか」
はっきりと不愉快そうな声色に、え、と思う間もなく、すらりとした後姿は扉の向こうに消えた。
「…それからドクターと顔合わせてねぇんだ。お互い忙しいから三日くらいはよくあることなんだけど、何か気になってさ。電話で訊いても、別に怒ってないっ て言うし――けど、すっきりしねぇ」
有り得ないことに、ルシファードは食事も進まないらしく、ポテトサラダをフォークで行儀悪く突ついている。
ライラは、悲しくもすっかり板についてしまった仕草で米神を揉みながら、この感情回路がシャットダウンしているらしい男に今回のことをどう理解させたも のか考えあぐねた。
「…ルシファ。あなた、ドクターが仰った言葉の意味は分かってるの?」
「ん、多分…。俺がギャラ・コンの間いないから、ドクターは寂しいってことだろ?」
「その通りね。で、あなたはどうなの?」
「え?」
「ギャラ・コンに行っている間、大好きなドクターの顔が見られなくて、寂しくないの?」
「寂しいに決まってんじゃねーか」
あっさり即答する。
「けど、一緒に連れて行きたくたってギャラ・コンには入場できねーし、それにあんまりドクターを衆目に曝したくねぇ」
「あら、どうして?」
ライラの大きな、猫科の獣を思わせる瞳がきらりと光る。
「言ったろ?蓬莱人はずっと以前に絶滅宣言が出されている種族だ。下手に生き残りが居るなんて分かると――また、面倒なことになる」
至極あっさりと論理的な答えを返された副官は、密かに肩を落とした。
「それは、十分に有得るわね…。とにかく、ルシファ。そのことドクターに言ったの?」
「そのことって?」
「あなたもドクターに会えなくて寂しいってことよ」
「いや。なんで?」
そんな当たり前の事をどうしてわざわざ言わなきゃならんのだ?とでも問いたげな様子に、思い切り力が抜ける。
どうしてこの男は、知能指数が人並み以上なのに、こんなことすら気付けないのだろう。
「つまり、ドクターはね、お気に入りのあなたの顔がしばらく見られなくなるから寂しい上に、そんな風に寂しいと思うのが自分だけだという孤独 感で、更に寂しくなられているのよ。だから、あなたもドクターに会えなくて寂しいのだと知れば、大分心が安らぐと思うわ」
ルシファードは表情の消えた顔でしばらくライラを見つめていた。
やがてしっかりと肯き、 「…分かった。じゃ、言ってみる」
おもむろに胸ポケットから携帯端末を取り出す。
「…って、今言うの?」
もはやライラの言葉も聞こえていない。
「あ、ドクター?…俺。忙しい時にごめん。あのさ、ちょっと話したいんだけど…うん、すぐ終るから」
相手の返答に小さく肯いたルシファードは、衆人監視の中、ライラの予想通りの台詞を発した。
「あのさ、俺、ギャラ・コンに行くのは嬉しいけど、ドクターに会えねぇのはすげえ寂しいから。正直言えばドクターも連れて行ってずっと一緒に 居たいけどさ、無理だし危ねぇからしょーがねーやって。…え、ここ?…食堂だけど、なんで?」
ぐるりを見回したルシファードは首を傾げる。
「ライラ?…あぁ、隣にいるぜ。っつーか、こいつにちょっと相談して…おいライラ、なに突っ伏してんだよ?」
言いながら、テーブルに伏した副官の頭を小突く。
「あぁ、とにかくそれだけ伝えようと思って。…え?――そうか」
文字通り副官泣かせの男は、ゆるりと、周囲の誰もが陶然とする笑みを浮かべた。
「うん、何がいい?…あぁ――分かった。いや、ちょろいもんだぜ。そう…じゃ、連絡してくれ。うん、待ってるよ…サラディン」
通話を切ったルシファードは、あからさまに上機嫌だった。
「――仲直りできたようね?」
ライラの声が、少し皮肉っぽくなるのは仕様がない。
「あぁ。サンキュー、ライラ。やっぱお前って、頼り甲斐あるわ」
残っていたサラダを口へ運びながら、答える声も弾んでいる。
絶滅種族の天才外科医はとりあえず機嫌を直したようだが、銀河連邦軍の最高位勲章を三つもぶら下げたこの男が、己の心のありように真実目覚めるの は、まだ先のようだ。
END≪Stories BBS Enterance≫