の あ とさ き  -1-

(C)2007 AmanoUzume.
※禁;転載利用盗作再配布等。
2007,8/11,Sat

 人が増えたな、と改めて思う。

 外宇宙探査基地とカーマイン基地の併 合を間近に控 え、パープル・タウンのショッピングモールは一般人、軍人、工事関係者から役人まで、様々な人波でごったがえしている。

 たまたま非番が重なり、珍しく二人連 れ立って買い 物に出かけたルシファード・オスカーシュタインは、次に向かう先を確認しようと同伴者を振り返った。

「…あれ?」

 いない。首を伸ばし、視線を廻らす と、人波を隔て た向こうに美しい青緑色が翻った。

「ドクター…」

 名を呼ぼうとして、言葉が詰まる。

 彼は、見知らぬ女性の肩を掴み、振向か せていた。一 連の動作は少々乱暴で、常に優雅な姿勢を崩さない彼の人となりを知るルシファードには、違和感のあるものだった。

 相手の女性はサラディンの顔を見て、 ひどく驚き目 を丸くしている。

 ――知り合いか?

 ルシファードが人波を縫って近づこう とする間、二 人は言葉も交わさずに見つめあっていた。

「ドクター」

 呼びかけられたサラディンは、はっと した様子でル シファードを振り返る。

「一体――」

「こちらへ」

 ルシファードにではなく、引きとめた 相手の方へ鋭 く言うと、彼女の手を掴み足早に歩き出す。

「ドクター?」

 サラディンは迷いのない滑るような動 きで人波を潜 り抜け、非常階段から人気のない駐車場へ入り込み、そこで改めて相手の女性と向き直った。相手も問答無用で連れて来られた割には不快そうな様子もなく、サ ラディンの顔をしみじみ感慨深げに見上げている。

 そこで、ルシファードも気が付いた。

「――まさか……出遭えるとは思いませ んでした」

「…ええ、本当に……初めまして、我ら が眷属」

 清涼感のある声で彼女は言い、微笑 む。ゆめまぼろ しのような美しさ。髪は黒く短く、瞳も同じ色。けれど、類稀なパールホワイトの肌は、隠しようがない。

 ――蓬莱人…なのか?

 絶滅したはずの種族二人は、言葉もな く、静かに向 かい合っていた。

 

「それで?」

「あ?」

 一人掛けのカウチに座り、少々長すぎ る脚をゆった りと組んだ男は、カップコーヒーを啜りながら間の抜けた声を出す。

「宇宙的な奇跡の再会があったのは理解 できたわ。本 当にすばらしいことね。でもそれと、今あなたがここでこうしていることと、どう関係があるのか説明してくれるとありがたいのだけど?」

 タンクトップにショートパンツ、とい う非常にラフ な格好をしたライラは、腕組みしながらカウチに座った親友を見下ろして訊いた。

「私は疲れているんだから、さっさと白 状なさい」

 仁王立ちになった全身から、有無を言 わさぬオーラ が立ち上っている。

「白状ったって…ん〜、つまりさ」

 ルシファードは、わしわしと頭を掻 き、言葉を捜 す。

「もやもやなんだよ」

「もやもや?」

「もやもやして気分が悪いんだ。彼女と 会ってから ずっと」

 エキゾチックな大きな目が半眼にな る。

「…ったって、そぉとしか言いようが ねぇ んだから しょーがねーだろ!」

 副官の鉄拳を恐れる上司は、びびりつ つ弁明する。

「…彼女、名前は?」

「アリス」

「地球系みたいな名前ね」

「そう思って、彼女の両親も付けたらし い」

「さぞや美しい方なんでしょうね?」

「ああ、そりゃあもう。ドクターと顔立 ちは違うけど 雰囲気はよく似てる。とてつもない美人だぜ」

 ミネラル・ウォーターを一口飲んだラ イラは、首を 傾げた。

「ドクターと似ているのに、好みじゃな かった?」

 ルシファードの言葉つきには、確かに 賞賛する気持 ちも込められていたが、どちらかというと否定的なニュアンスの方が強く感じられた。事実、しばし考える風にしていたルシファードは、こくりと肯く。

「好みじゃねーっつぅより、まじシャレ になんねぇく らい怖いっつーか、そりゃあもぅ、剃刀ですぱっと切られそうな感じっつーか…」

「まぁ、情けない。曲がりなりにもあの マダム・バン カーと渡り合った男とは思えないわね。怖い女性、好きかと思ったけど」

「…あのー、ライラさん?あれを渡り 合ったって言う んでしょうか。とどのつまり、食われちゃったんですけど、俺」

 ライラはライティング・デスクの端に 腰を掛ける と、ふふん、と鼻で笑った。

「カーマイン基地全男性陣の救世主に なったじゃない の。未だに語り継がれる、あなたの勇姿!オマケに精神的チェリーボーイまで少し矯正してもらえて、一石二鳥じゃない。良かったわねぇ」

 う゛、とルシファードはひるむ。自分 でも多少自覚 があるだけに、“精神的チェリーボーイ”という表現はずばり的を射られていて痛い。

「い、いじめだっっ!誰か助けてっ」

 助けを求めたところで、そこには部屋 の主である副 官以外、誰もいない。

「はいはい。で、何がもやもや?」

 手を振りながら水を飲む相棒に、真顔 に戻ったルシ ファードは溜息を吐きつつ呟いた。

「だから、ここが」

 親指で自分の胸を指し、眉をひそめ る。

「もやもやして、すげー気分が悪いん だ。何が何だか わからねぇ。何なんだ?これ」

「…もやもやね」

「うん」

「もやもやなのね」

「うん」

 丸っきり少年よろしく見上げてくる男 の様子に、ラ イラはふぅ、と肩を落す。

「――曖昧すぎて訊かれるこっちこそ分 からないわよ!…と言いたいところだけど、それで何となく分かっちゃうってのが腐れ縁の腐れ縁たる所以なのでしょうね。…いいわ、まず質問よ、ルシファ」

 うんうん、とルシファードは肯きなが ら身を乗り出 す。

「お二人はどんな様子で話していたの?

「…生き別れの姉弟っつー感じだった な。人見知りの 超激しいドクターが、いきなり手握ったまま話し出すから驚いた」

「それは確かに驚きだわね。で、それを 見ていたあな たは、もやもやと不愉快な気分になったわけね?」

「うん、そう」

「不愉快になっただけ?心臓が抓られた みたいに痛く なったりしなかった?」

「あ、そうそう。そんな感じだ。…よく 分かるな、ラ イラ」

10年もあなたのお守りをしていればね。 で、それからどうしたの?」

「…とにかく車探して、ドクターの家に 行った。二人 はそれからずーっと話してて、俺は飯作って食べさせて、邪魔になるかなと思ってここに来た」

 ライラの眉がぴくりと動く。

「――私の邪魔になることは考えない辺 りが、あなた らしいわね。ドクターは何て?」

「気を使わなくてもいいって。けど、相 手もあること だしな」

「それが本心からなら、よくできたわね と褒めてあげ たいけど、どーせあなたの事だから、わけの分からない不愉快な気分から逃れたいって方が強かったんでしょ?」

「…さすがライラさん。仰る通りで」

「でもとりあえず、その場から離れたの は正解だった と思うわ。傍らでイライラされちゃ、ドクターもお嫌でしょうし、ね」

「別にイライラはしてねぇよ」

「はいはい、もやもや、でしょ。その気 持ちが何か分 からなくて気分が悪い、と」

 その“気持ち”の名前は、わざわざ言 うまでもなく 至極ありふれたベタな感情なのに、自覚できないとは、全く手がかかる。

「…じゃあ、こう考えましょ。もし、ド クターが女性 だとしたら」

「はぁ?」

「いいの!仮に、の話よ。あなた達は一 緒に住んでい る。これは変わらない」

「…ああ」

「二人はとても仲が良い。で、今日みた いに連れ添っ て買い物に出る」

「ふんふん」

「途中、“彼女”は急に走り出して、見 知らぬ男を呼 び止める」

「――…」

「あなたが傍へ行っても、二人はまるで あなたなんか いないみたいに目もくれず、見つめ合い、手を握り合っている」

 ルシファードは無言で眉を寄せる。

「そしてあろう事か、二人で住んでいる 家へその男を 招き入れ、あなたそっちのけで話し込み――」

「…おい、ライラ」

「それを眺めている男の心に浮かぶ、 “もやもや”で “心臓を抓られるみたいに痛い”気持ち。さて、これな〜んだ?」

 ルシファードは口を開けて何か言おう とした。が、 言葉にならない。猛烈にショックを受けているのが分かる。漸く自分の感情に当てはまる単語へ思い当たり、それが信じられずに足掻いているのだ。

 ライラは最後に両手を広げて問いかけ たポーズのま ま、深々と溜息を吐いた。

「…あなたが何と思おうと、端から見て りゃそうとし か判断できません。いい加減に自覚なさい。じゃなきゃ、いつか本当にドクターを掻っ攫われちゃうわよ?」

 それは、今のルシファードにはリアリ ティのある言 葉だった。

「サラディンは、女じゃねーし…」

 言い訳がましく呟いてみるものの、も うそれが欺瞞 だと気付いてしまっている。

――嫉妬?なのか、これが?

 嫉妬はもちろん、それだけでは成立し ない。前提と なる感情が必要になる。けれど嫉妬=恋愛感情と断定できるわけでもない。幼い子どもが兄弟に母親を取られて感じるそれもそうだろうし、以前ドクターが言っ ていた“お友達を他人に取られたくない感情”というパターンもある。

「あのさぁ、ライラ」

「何?」

「俺、ドクターに惚れてんのかなぁ?」

 お間抜けな表情でそんなことを私に訊 いてる時点で 終わってるわこの大馬鹿三太郎ッ!!という内心の声を抑え、ライラは眉をそびやかす。

「あら、惚れてないの?」

 惚れている。大好きだ。けど、これが 世間一般に言 ういわゆる“恋愛”のカテゴリに入るとは、どーしても思えないルシファードだった。そう話すと、ライラはあっさり「当然じゃない」と応じる。

「あなたは幼稚園児。お相手は200年のベテラン。そう考えれば納得いく わ」

 つまりは格が違いすぎるのだ。違いす ぎて――なる ほど、それでは“恋愛”にならない。

 何だか、分かったような分からないよ うな、はっき りしていないのだけれどものすごく腑に落ちる説明だった。ずっと、サラディンは自分の何なのだろうと思い続けてきて。

「――ライラ〜、やっぱお前ってすご い。天才だ。尊 敬するぜマジで」

 己の心の在りかが少しハッキリして スッキリしたル シファードは、心からの感嘆を込めて言う。ライラは甘ったれの息子を見る母親のような慈愛に満ちた眼差しで肩をすくめる。

 

 

「―――………ルシファード……ルシ ファード?」

 携帯端末の向こうに相手の気配は感じ られるもの の、応えがない。困惑しながら待っていると、やがて、がさがさと雑音が聞こえ、はきはきとした女声が自分の名を呼んだ。

「――キム中尉。いらしたのですか、よ かった。ルシ ファードはどうしたのです?」

『それは見事に石になっていますよ、ド クター・アラ ムート。彼とは長い付き合いですが、こんな様子は初めて見ます。一体何を仰ったのか、お聞きしてもよろしいですか?』

「ええ、構いません。彼から私の話は聞 きました か?」

『はい。同族の方と会われたそうで、本 当に、奇跡で すわね。お喜び申し上げます』

「ありがとう、ライラ。ご質 問の件です が、彼女が望むので子どもを作りたいけれどよろしいですか?…とルシファードに尋ねました」

『あら、まぁ。――そうでしたの。なる ほど、納得で すわ。ドクター・アラムート。…私とルシファは、知り合ってかれこれ12年になります。今日、夜に初めて彼の方から尋ねてきたと思ったら、何て言ったと思います?』

「…さぁ、何でしょう?」

 サラディンはつい首を傾げる。

『ドクターとその方が親しくされている のを見てい て、どうにも“もやもや”して気分が悪いのだが、これは何だと訊くんです』

「おや、それは――」

『ええ。面倒だなとは思いましたけど、 説明しました わ。つい先程、ようやく腑に落ちたらしくて、バカみたいに――って、ホントに大馬鹿なんですけど、ショックを受けてた所なんです。これでもうすっかり思考 停止ですね、ほほほ』

 ライラは端末の向こうで心底楽しそう に笑った。親 友であると言うのに、いや、親友だからこそか、この二人は互いに容赦ない。

「事情は分かりましたが、いつまでも石 になられてい ては困りますね。正気に戻す方法はないものでしょうか」

『いいえ、ドクター。どうぞお気遣いな く。そちらは 種の存亡がかかっていらっしゃるのですから、こんな幼児のバカ一人、お気になさる事ありませんわ…って、なぁにルシファ。もう正気に戻っちゃったの?』

『ドクター!』

 ライラから端末を奪い返したのだろ う、少し怒った ような調子の声が聞こえた。

「はい」

『どうして俺に訊くんだ?』

「は?」

『子どもを作るとか作らないとか、あん たと――彼女 の自由なのに、どうして俺に断りが必要なんだ?』

「…そうですねぇ…あなたなら、やりか ねないです ね。全く悪びれもせず突然、“ドクター、俺、この間押し倒された時に子どもができちゃったから、彼女と結婚する”とか言いそうですねよぇ――何だか想像し たら腹が立ってきましたよ。どうして私はわざわざあなたに断りなんか入れているんでしょう?」

反対に問い返され、ルシファードは言葉 に詰まる。

「ご存知の通り私はあなたを特別に想っ ていますか ら、何も言わないでいるのは裏切りのような気がしたわけですが、考えてみればお人よしに過ぎますね。あなたの方は私に対してそんな義務など微塵も感じてい ないのに。一方的な思い込みでお騒がせしてすみませんでした。では――」

『待てよドクター、切るな!』

 それらしく言ってはみたものの、最初 からこれで引 き下がるつもりのないサラディンは、当惑しているらしい相手の出方を待った。どんな危機的状況でも即座に的確な判断をする銀河連邦軍の英雄が、端末の向こ うでまごついている。その気配を感じているだけでも、なかなかに心地よかった。

 継続する沈黙の中で、何やら助け舟を 出している副 官の声が微かに聞き取れた。

『ええと…サラディン?』

「はい」

『あの事件の前、ガー ディアン・ レッドに呼び出されて会いに行く時に、ドクター言っていたよな。“お友達を他人に取られたくないという感情は、幼稚園児にもあります”って』

「はい、言いました。それが何か?」

『だからレッドが気に入らないって、そ う言ったよ な。その気持ちが多分…俺にも分かった…と、思う』

「それは重畳。少し成長しましたね。そ れで、どうで すか、気分は」

『…最悪』

 いかにも苦々しく告げる声に、サラ ディンは微笑 む。

「喜ばしいことですねぇ。今まであなた は、それに類 する気持ちを私を含めた多くの人に与えてきたのですから、少々不愉快な思いをするのは当然とお考えなさい」

『楽しそうに言うなよ、サラディン。こ れ、どうす りゃいいんだ』

「そうですね…即効性の魔法の言葉もあ ることはあり ますけれど、あなたには人生初めての経験をもう少し堪能して頂くべきでしょう。ふふふ。ただ、これだけはお教えしておきます」

『何?』

「――蓬莱人にとって、繁殖はごく本能 的で自然な行 為です。地球系の人類が抱く恋愛や性欲とはかけ離れた感覚だと思われます。上手く説明できませんが…私にも今まで茫漠と感じられていたことが、彼女と出 会ってよく分かりました。私たちの一方がそう望むなら、他方がそれに答えるのは自然であって、それ以上でも以下でもなく、感情的な云々は関係ないのです」

『………』

 反応が返ってくるまで、しばらく間が あった。

『…うん、そうか。それ、すげぇよく分 かった。何か 気分も軽くなったぞ』

「楽になりましたか?…ほぅ、少し親切 に過ぎたで しょうか。でも、それで本当に気持ちが片付くようなら、あなたはまだその程度だということですね」

『ドクター?』

 刺を含んだ言葉に、ルシファードが情 けない声を出 す。

「そんな声を出してもダメですよ。本来 私は意地悪な んです。初めての経験に戸惑ってもいますし、何でしたら今からここへ来て経験豊富なあなたにご教授願いましょうか?」

 息を呑むような気配と沈黙が、ルシ ファードの気持 ちを物語っていた。

「…明日は予定通り病院へ向かいます。 では、おやす みなさい、ルシファード」

 今度は問答無用で通話を切り、溜息を 吐く。少し離 れたソファから、くすくすと笑い声が聞こえた。

「…手強いようですね、彼」

「ええ。彼もまた珍しい種族でしてね。 見ていてお分 かりかもしれませんが――地球系人類とは違い、私達を本能的に怖れない一方、容易く魅了されることもありません。普通の人間と同じように正攻法で口説き落 とすしか手段がない上、想像を絶する鈍感ときている。全く手を焼いていますよ。蓬莱人としてのプライドを何度も崩されました」

 同じ蓬莱人としての強固なプライドを 持っている相 手は、コンタクトで黒く変えている目を丸くした。

「――それは大変。でも、楽しそう」

「はい、その通りです。おかげで退屈し ません」

 歩み寄ったサラディンが手を差し伸べ ると、彼女も 当然のようにその掌へ己の手を滑り込ませる。立ち上がった彼女はまた笑う。

「…初めての経験に戸惑って…って、嘘 ばっかり。 彼、泣いてないかしら?」

「そんな繊細さを持ち合わせていたら苦 労はないので すが…。どうあれ、タフで優しいお母さん役が傍にいるから大丈夫ですよ。彼女――キム中尉には、後で何かお礼をしないと」

 

 

「…いーかげん堪忍袋の緒が切れるわ よ、ルシファー ド」

 振向いた男は、微かに眉をひそめただ けで何も言わ なかった。

「一体いつまで高校生みたいなプチ家出 を続けるつも り?私のソファを貸してあげるのは構わないけど、逃げていたってしょうがないでしょう。ますます帰りにくくなるだけよ」

 あれから丸3日と半日。信じられないほどルシファード は消沈していた。

 端から見ればさほどでなかったかもし れない。普段 通り仕事をしてバカを言い、笑っている。だが、ワルター・シュミット大尉をはじめ、ごく近しい幾人かは気付いていた。

「なぁキム中尉、ルーちゃんてば少し元 気がないみた いに思えるんだけど、どうかした?」

 本人に尋ねても「別に、変わりない ぜ」で済まされ たシュミット大尉は、それでも腑に落ちなくて副官のライラに訊いて来た。

「…はい。このバカ…もとい、オスカー シュタイン大 尉は、今までの人生でおそらく最大の落ち込みを経験中なんです。なのにこのバカ…もとい、大尉はやせ我慢して平気を装い、更に問題の根源から逃走している ため解決もつかず、もんもんとストレスを溜め続けている状態かと思われます」

「ストレス!……失礼だけど、ルーちゃ んに限っては 全く無縁の言葉かと思っていたよ。で、原因は何なんだい?」

「…それを申し上げると、今度はシュ ミット大尉のス トレスになるかと予想されますが」

 それだけで原因の当てがついたワル ターは、背後へ 仰け反り気味に飛びすさった。

「い、いや!言わなくていい!……ごめ んルーちゃ ん、俺じゃ役に立てそうにないよ…」

 両手を胸元に結んで空を仰ぐ。

 ――同じくルシファードの異変に気付 いたマオ中佐 やラクロワ司令官も、“問題の根源”となる人物の名前をライラに確認すると、どこか寂しげな笑いを浮かべ、自分達の庇護するマスコットボーイの健闘をただ 祈るのだった。

(まぁ、あの二人の間へ下手に顔を突っ 込めば、馬に 蹴られるどころか、あらぬ異次元へ飛ばされちゃいそうだものねぇ…)

 どちらにせよ、命の危険にさらされる のは間違いな い。

 

「…どうなの?覚悟は決まった?…心細 いなら、玄関 まで一緒について行ってあげるけど」

 ルシファードは、それと分からぬくら い微かな溜息 を吐いて肩を落す。

「……会って、どういう顔したらいいか 分から ねぇ…」

「…今のあなた、まるで大好きな彼女と 初めて喧嘩し たローティーンの子どもみたいよ?ったく、しょうがないわね。昨日も話したけれど、とにかく顔を合わせてごらんなさい。何もかもそれからよ。得意の菓子で も作って、お茶を入れて差し上げなさいな」

 外科医の多忙さゆえ、帰ってもすぐ会 えるとは限ら ないが、このままふらつかれてはライラ自身も落ち着かない。ルシファードにも、それは分かっていた。

「…ったく、我ながら情けねぇ。すま ん、ライラ」

 大きな手が並んで歩いている副官の肩 を叩く。

「全くだわ。でも、ようやくあなたも思 春期くらいの 精神発達段階へ到達したって事なんでしょうね。いつもやっちまったモン勝ち≠ナ結果オーライのあなたが、相手の気持ちを畏れて動けなくなっているなん て、大した成長振りだわ。ドクター・アラムートに感謝しなくちゃ」

「――怖がってンのはドクターの気持ち じゃねぇよ。 自分の気持ちだ」

 一際憂鬱そうな声で、ルシファードは 呟いた。

「どういうこと?」

「俺が感情を封印された理由だよ。星を 砕ける念動力 と精神感能力を併せ持った奴が、心のまま感情的に振舞ったらどうなると思う?」

「…危ないわね」

 ライラも素直に肯く。巨大なクレー ターと化した流 民街を目の当たりにしているのだ。理屈でないその力の凄まじさは肌身で感じていた。

「先ラフェール人はおそらくそれで滅亡 しかけ、種族 としての自分たちに限界を感じたんだろうとお袋が言っていた。感情を封印されて、おまけに子どもだった俺には全く理解できない話だったが…何か、分かった ぜ」

 食堂から執務室へ戻る廊下で、ルシ ファードは足を 止めた。

「3日前に話してた時、俺、一瞬サラ ディンを殺した くなった」

 静かに告白するその声には、ライラの 背筋すら寒く させる何かが含まれていた。身震いしたくなるのを、必死で押し殺す。

「ホント、一瞬だったけど、俺、すげぇ 怖かった。自 分が気味悪くて…寒かった」

 この寒々しさは、ルシファード自身が 感じているも のなのかと合点が行く。

「俺の力、あのひとを守るためにあるっ て、そう思っ たのに、その力で、あの人を殺しちまったら――シャレになんねぇだろ?」

 ルシファードの唇が震えた。笑おうと して、形にな らなかったらしい。

「…本当に救いようのないおばかさん ね」

 ライラはルシファードの前へ回り、高 い位置にある その両頬を優しく包む。

「いい?ルシファ。それが、一般に言わ れている愛 憎≠チてものなのよ」

 黒く凛々しい眉が怪訝そうに歪んだ。

「人は誰かに恋をすると、その人の心も 身体も生活 も、何もかも一人占めしたくなるの。そこに他者が入り込んで来ると…嫉妬、この気持ちはもう分かるわね」

「ああ」

 身長2メートル近い長身の男は、小さな子どもの ように肯く。

「それから、相手が自らの意思で、自分 の気持ちを裏 切る行動をとった場合――例えば、ラングレー大尉殿とシュミット大尉の場合のように――そうすると、人は深く心を傷つけられて、傷つけた相手が憎くなるわ けよ。可愛さ余って憎さ百倍。殺したいほど好き。…そいういう表現、聞いたことあるでしょ?」

「ワルターと…メリッサか、うん。で も、サラディン は――俺とサラディンは、別に夫婦じゃねぇし、恋人ですらないぞ」

 ルシファードは頬へ添えられた親友の 両手を取り首 を振った。

「じゃあ、ただのお友達?」

「…いや」

「親友?私みたいな?――私だったら、 それこそ誰と 一緒にいようが子どもを作ろうが、あなた気にしないでしょう」

「…うん」

「情けない顔しないの。恋人であろうが なかろうが、 あなたがドクターのことに無関心でいられないのは事実なんだから」

「だってそんなの…自分勝手だろ。ドク ターが何をし ようと自由なはずなのに、俺の気分の良し悪しなんか、関係無いんじゃねぇのか?」

 自分の気持ちを押し付けて、他人の自 由を奪う。精 神的にも物理的にも、絶対にしたくないことだった。特に、大事に思う人には。

「ルーシーファ〜?あなた、気にしない の?先日ドク ターが仰ってたように、ドクターが嫌がっても、他の女性とどうこうなるなんてことが、本当にできるの?」

「うっ…」

 サラディンは嫌がるだろう。到底ライ バルにはなら ないようなレッドに対してさえ、あれだ。好きな女性ができたからと告げたところで、微笑んで祝福してくれるとは思えない。

 …呪ってはくれるかもしれないが。

「あれ、今は立場が…逆?」

「そうよ。だから、わざわざあなたに断 りを入れて下 さったんでしょう。あなたが不快に思うかどうか、確かめるためもあったと思うけど」

「――ええと…じゃあもし俺が嫌だと 言っていたら、 ドクターは彼女と…その……」

 いつも良家の子女が卒倒しそうな卑語 俗語をてらい なく発している口がもごもごと言い渋るのを見て、ライラは笑った。掴まれたままだった手を振り解き、ぴたぴたと男の頬を叩く。

「それは自分で訊いてみるのね。大丈 夫、案ずるより 生むが易しよ。で、ママの付き添いは要るのかしら?」

 ルシファードは即答しようとして少し 考え、首を横 へ振った。

「いや、大丈夫だ。…ありがとうな、ラ イラ」

「どういたしまして。手がかかるのはい つものこと よ。…そうね、いつか纏めて借りを返してもらおうかしら」

 二人の間に流れる、白けた空気と数秒 の沈 黙。

「――自分で言うのもなんですが、現金 換算すると天 文学的な数字になるのでは…」

「…ええ。今、我ながら現実味のない台 詞だと思った わ」

 二人は顔を見合わせて笑い、差し出し た拳を上下に 打合せた。

「ま、とにかくドクターと仲直りできる よう祈って る」

 携帯端末の着信音が鳴り、ルシファー ドは胸ポケッ トからイヤホンを伸ばす。

「はい、オスカーシュタイン…ベンか。 どうした?」

 男の顔から、明るくなりかけた表情が 消える。

「…そうか、分かった。いや、ドクター からは何も聞 いてない…うん。ああ、そうだ。…教えてくれてサンキューな。じゃ、また」

 簡潔な会話を交わして切ったルシ ファードは、間を 置かずにナンバー・キーを押した。

「どうしたの?」

「…サラディンが今日、体調不良で仕事 を休んだらし い。40年余にし て3度目の鬼の霍 乱だと言っていた」

 無言で見上げる副官の目も、信じら れない≠ニ 語っている。呼び出し音が2度、3度と鳴るのももどかしい。5度目でようやく相手の声が聞こえた。

『はい』

「――サラディン?…俺だけど」

『ルシファード…』

「具合が悪くて仕事休んだって、今カ ジャから聞い た。――大丈夫なのか?」

『さぁ…分かりません。ああ、命に別状 はないと思い ますから、心配要りませんよ』

 眠っていたのか、ひどく気だるそうな 声が答える。 語尾の掠れたそれは、普段のクールな言葉つきより色気3倍増しという感じ。ルシファードの背筋に妙な戦慄が走った。

「――症状は?熱があるのか」

『ええ……大丈夫ですよ、一日休めば治 ります。私の タフさはご存知でしょう?』

 声が笑いを含む。心地よい響き。

「だから心配になってんだ。…正直な 所、ドクターが 風邪引くとは思わなかった」

『毎度ながら失礼な人ですね』

 意識せず、口元が綻んでくる。サラ ディンのこの 声、話し方が好きだとしみじみ思う。

『風邪ではなくて――急激な身体変化に 伴うものと思 われますから、大丈夫ですよ』

「…急激な身体変化?」

 3日前の経緯を考えると、何となく不愉快な 場面を想像しそうな熟語だった。

『説明なら後日…すみません、今日 は…』

「飯は食ったのか」

『…いいえ。水分は摂っています。食欲 もないです し、一日くらい食べなくても死にはしませんよ。私のことは大丈夫ですから、仕事に集中なさい』

「――なるべく早く帰る。何か食えそう だったら口に 入れろよ、ドクター」

 微かに笑う気配が流れてくる。

『分かりました。ありがとう、ルシ ファード』

「いや、休んでいる所を悪かった。じゃ あな」

 通話を切ると、腕組みをした副官がニ ヤニヤしなが ら見上げていた。

「ライラ、俺、今日――」

「仕事が早く終わったら上がれるように 手配しとく わ。緊急事態が無かったらの話だけど」

「感謝する」

 携帯端末を胸ポケットへ戻しながら、 ルシファード は意識を準戦闘モードと呼べるものへ切り替えた。目標は、一刻も早い帰宅だ。


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