オリジナルが創造維持神――いや、既に神とは呼べぬあれと共に何処かへと去ってからも、彼は訪れた。
神の悲鳴と狂気に満ちていた塔内がただ歪み続ける空洞と化し、全ては終ったものと考えていたから、再び 現れた彼のいつも通り不安げな表情に少なからず驚かされた。もちろん、それを表に出すことはないが。
『歪みの中で生きていくのはかまわないが、刺さっているのは痛いので、取ってほしい』
『退屈に殺されそうだ』
『一緒に刺さってみるか?』
ここまで訪れては私の下の感覚球へ吸い込まれてゆく彼に、達観にも諦観にも辿り付けぬ未練たらしい繰言 を、思いつくまま幾度か投げつけている内、茫洋としていた彼の様子に少しずつ変化が見え始めた。
開いた口をもどかしげに動かしては、己の喉から洩れる呻き声に眉を寄せる。目覚める前に流し込まれた経 験情報――反復した記憶に動かされ、理由も分からぬまま潜り続けていた虚ろな瞳が、いつしか、清明な意思の光を宿している。
身振り手振り、伝えたいことがあるのは分るのだが、それが何かは分らない。
やがて言葉を諦め、感覚球へ落ちてゆく彼が、懸命にこちらへ手を伸ばしていると気付いた。
その刹那。
串刺しにされた身体を電流のような何かが突き抜け、大熱波以降、私の全てを常に支配していた痛みを一 瞬、忘れた。
彼はまたやって来る。
手を伸べ、剣を伸ばし、物を投げ、思案しては、判別のつかぬ声を上げる。終いにはやはり感覚球へ吸い込 まれ消えてしまうのだが、もはや彼の目的とする所は明白だと言えた。
私が、戯れに、叶うとは思わず、ほんの僅かな希望だけを込めて、口にした言葉――
『歪みの中で生きていくのは構わないが、刺さっているのは痛いから…』
彼の身体表現は、徐々に巧みになった。三十を下らない探索によって、装備や戦闘技術も相当に向上したの だろう。肌やコートに細かな傷が少しずつ増えてゆく彼は、どうやら同一の彼であるようだった。こうしたらどうかと身振りで示す彼に力なく首を振りながら、 私は新しく生まれた奇妙な感覚を自己分析しようとしていた。
彼が訪れる度、その姿を見る毎に、震える心臓――ほんの僅か、速まる鼓動…。
『喜、悦、歓』
それは分析の必要もないほど単純で原始的な感情であるが故に、認めるだけで激しい羞恥に似た抵抗を伴っ た。
――私は、彼の訪れを…嬉しいと思っている。
堅牢な城塞に空いた大穴のようなその感情は、私の心根をひどく頼りなくさせた。
「…ここにいてくれないか」
何事か思案していた彼は、声を聞いて弾かれたように顔を上げた。瞳孔に向かって少し灰色がかった瞳で私 を見つめ――
呼吸の途切れるその間際、微かに、笑んだ。
彼はまた訪れる。
地上の幻である私のもとへ。
『歪みのひとつとして生きていく。それも良いのかもしれないな…』
感情の伴わぬ決り文句を口にして横を向いた私に、初めて、彼は手を伸ばした。頬の辺り、まるで、涙を拭 うような仕草をして、まだ傷の少ないコートを着た彼は、前の彼と同じ笑みを浮かべた。