Call my name...

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2008,6/8(sun)

「おい、馬鹿猫」
 いつも通りに呼ばれる。そう、いつもだ。こいつと出会ってからもう幾度、こう呼ばれたか分からない。
「…おい」
 答えない相棒を訝しんで背後から肩を掴もうとした手を振り払い、コノエは相手の鼻先に指を突きつけた。
「――いい加減にしろ。俺は『馬鹿猫』なんて名前じゃない。何回言ったら分かる。アンタこそ馬鹿だろう、この馬鹿猫!」
 厳しい反撃も全く意に介さぬ風で、白銀の大型猫は空色の眼を細める。
「…そうだな。馬鹿なお前を相棒にしているという点で、俺も相当な馬鹿だ。で、それがどうした。お前も俺を『馬鹿猫』呼ばわりでもするつもりか」
 いっそ堂々とした相手の態度に、突きつけた指の行き場をなくし、コノエは戸惑う。しかしここで怯んだら自分は一生『馬鹿猫』のままだ、と琥珀色の瞳に力を込め、睨み返す。
「違う。今後一切、二度と、金輪際、俺を『馬鹿猫』と呼ぶな。一度でも呼んだら、俺はアンタとのつがいを解消して、他の闘牙を探す」
 穏やかならざる内容に、さりげなく聞き耳を立てていた周囲の猫たちが微かにどよめく。

 ――嘘だった。
 何があろうとそれこそ絶対に、自分はこの不遜を絵に描いたような男…ライのため以外にはうたわないだろうし、うたえないだろうと思う。けれど、今のように同業者のひしめく酒場で馬鹿呼ばわりされるのには、もういい加減うんざりしていた。
 大事な賛牙だというなら、こいつだって少しはコノエのプライドとか立場というものに、配慮をしてもいいはずだ。
「……ほう」
 薄刃のような眼差しが、氷の冷たさを宿す。コノエの心臓がどきりと痛む。
 まさか…ない、とは思うけど――いつものように「勝手にしろ」と背中を向けられたら…どう、しよう。
 表情がひよらないように、腹の底へ力を込め、奥歯を噛みしめる。

 既に知る人ぞ知る伝説の賞金稼ぎとなりつつある二匹は、場末の酒場の片隅、無言で睨み合った。

 溜息とともに視線を逸らし、折れたのは、ライだった。
「…それなら、どう呼べばいい。ボケ猫か、それともチビ猫か」
「アンタなぁ……」
 気の抜けたコノエも溜息を吐く。
「ボケもチビも禁止だ。――普通に、呼べよ。名前を」
「……ふん」
 カウンターに片肘を突いたライは不敵に笑う。
「お前、俺に名を呼ばれたかったのか」
 一段低いトーンの声にわずかに含まれた、艶めいた響き。コノエは、首の後ろの毛を逆立てる。
「別に、そういうわけじゃ…」
 思わず顔を背けると、さらに低い声が、囁いた。
「…コノエ」
 背筋を、奇妙な戦慄が走り抜ける。
「何だよ」
 不機嫌を装い、ぶっきら棒に返す。体中がざわざわと落ち着かない。果実水の入れられたグラスに口をつけると、傍らの男が含み笑う。
「…俺がお前をそう呼ぶなら、お前も俺を名で呼ぶ。…そういうことだろう」
「俺は…いつも、普通に呼んでる」
「アンタと呼ばれる比率が圧倒的に高いな。証拠に、お前はこの会話が始まってから一度も俺の名を呼んでいない」
 厳然たる事実を指摘され、返答に窮する。

 確かに。でも、自分は目の前のこの男と違って、人前で呼ばわる時は普通に名を呼んでいる。
「――呼べ」
「命令するな」
「俺にだけ自分の要求を呑ませるつもりか…コノエ」
 艶やかな低い声に呼ばれると、慣れないせいか、一々耳の毛がそば立つ。
「……分かったよ。ライ――これで、いいのか」
 自棄気味に呼んでやると、目前に寄せられた顔が、解けるように笑った。
 コノエは仰天して見入る。
 冷笑を浮かべることはあっても、ライは、もちろん、滅多に笑わない。
「そうだ、コノエ。もっと、呼べ」
 心拍が乱れ始めて、二の句が継げなくなる。
「用もないのに呼べるか、ふざけるな」
 照れ隠しにグラスを傾けてから、中身がもうないことに気付く。――間抜けだ。本当に。
「…コノエ」
 滑るように剣を操る大きな手の長い指が頬へ触れる。
「なんっ…だよ…」
「呼べ」
 求められると、喉の奥で何故か躊躇って、声が出ない。頬の産毛を撫でる手がこそばゆい。
「だから、用もないのに呼ぶ必要はない」
「いいから呼べ」
 ライの命令口調は筋金入りだ。有無を言わせぬ迫力がある。溜息を吐きつつ、コノエは渋々口を動かした。
「――ライ」
 薄水の瞳に視線を絡め取られる。
 何なんだ、これは?この……心臓がせり上がってくるような感覚。首筋から頬にかけて、火照ったように熱を持つ。

 ふ、とライの唇が、見慣れた冷笑を形作る。
「少しは、俺の気持ちが分かったか」
「――え?」
「共感能力があるという割には心底鈍いな、お前」
 呆れ返った口調で言われ、むっとする。肩をすくめたライはカウンターを離れ、戸口へと歩き出した。
「…おい」
「行くぞ――コノエ」
 今度は、周囲にも聞こえる声で、はっきりと名を呼ぶ。
 所有権の在り処を示すかのように。
 訝しく首を傾げながら、コノエは逞しいその背中を追う。そう、いつものように。

 いつまでも、きっと。



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☆勢いで書いてしまいました。作品知らない方にも、ほんの少しでも、楽しんで頂ければ幸せです。