堕チ天使



ツバサヲナクシタキミガ ソラカラオチテクル

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 最初、彼は道標だった。

 幾度も出会い、言葉を掛けられるに従い、鬱陶しい指揮官となり。

 本体とまみえた後は、その有り様が表現しようもなく奇妙に思われた。

 ――感覚球に吸い取られていた記憶が戻って来る。

 大熱波の前、マルクトの中で文字通り君臨していた彼。

 感覚球を使って信者達を操り、僕を作り出した彼。

 僕達を引き裂いた、彼。

 恨んでもいいはず。怒り、嫌悪する理由は全て揃っている。実際、天導天使から世界が歪み始めた経緯を伝 えられた時は、強烈にそう想ったはず…なのに。

 最下層の手前で彼に出会うと、それらの想いはいつも何処かへ消えてしまい、陰鬱な空虚さだけが残る。

 中級天使として反乱に加わった時も、上級天使を激しく敵対視していた他のメンバーと表面上合わせていた ものの、僕はそこまで彼を悪いようには思えなかった。彼の口から出る言葉がほとんど嘘だと言うことは何となく分ったし、常に高い位置から詭弁を弄して他人 を操る、そんな態度は好ましくなかったけれど…妙な言い方だが、教団内で最も大きな偽翼と紅い縁取りの上級服が一番似合う彼を、神がその地位に望んでいな いとは思えなかったのだ。

 それこそが実質のないカリスマ的支配というものなのだろうが、「神によって選ばれ作られた教団が守って いる神」を信じるなら、彼が選ばれた人物であることも信じざるを得ないわけで、その彼が守るべき神に取ってかわろうとしていたのだから、。教団の分裂は必 然だったろう。

『歪みのひとつとして生きる。それも良いのかも知れないな…』

 オリジナル≠ニ呼んだ僕が彼女と去ってからの彼は、丸きり彼ではないようだった。彼女は『世界の浄化 そのものが歪んだ妄想』と言ったが、そのバロックを失った彼はむしろ、とうとう彼も歪んでしまったと表現したくなるような生気の無さで――つまり「自分が 世界を浄化してやる」という妄想こそが彼をあれほど強く輝かせ、ひいては神をして彼を選ばせたのだと考えると、その皮肉な構図に眩暈がしてくる。

 既に神の居ませぬ神経塔に潜る意味など見出せなかったけれど、歪んだままの世界で放り出された僕は、他 にどうしようもなくただ惰性のように最下層手前まで行っては地上へ戻ることを繰り返していた。

「歪みの中で生きてゆくのは構わないが、刺さっているのは痛いので、取って欲しい」

 その一言は投げやりのようにも聞えた。

 だが、その声に含まれている何かが、感覚球へ落ちようとしていた僕の足を止めさせた。

 鋼のような色合いの球体を突き破るようにして伸びた大きな棘。

 そこが、今の彼の住いと言えた。

 文字通り串刺しに貫かれた身体は肺も心臓もおよそ機能するとは考えられず、その痛みに至っては想像の仕 様もない。

 『なぜ死なぬ?感覚球が生かしているのか?』

 いつか彼がふと迸るように呟いた台詞が脳裏を過ぎる。そうだろう。そうとしか考えられない。

 ――やはりこれは、罰なのだ。

 ごく自然に、そう想えた。そしてやはり、僕は、彼を憎み切るどころか不思議と共感めいた同情を感じてい る自分に気付く。

 何故、彼だけが?

 彼に従った者も逆らわなかった者も、同罪と言えば同罪であろうに。…いや皆、激しい自責の念に苛まれて いたではないか。彼は自責どころか、悪かったとすら未だに思っていない。ならば、全ての苦しみも痛みも自業自得というものではないか…。

 だが、半身を殺してしまったと言う罪悪感と欠落感を埋めるため教団に居たと言っても過言でない自分が、 それを言い募る資格を持つとは思えなかった。そして、バロックを失った彼の大きな欠落≠前にした僕は、場違いにもそれを埋めようと考えたのだ。

 心臓を返して心臓を返して心臓を――

 僕が殺した彼の幻影が迫る。太い棘で大きく抉られた上級天使の胸に、心臓はその拍を刻んでいるのだろうか?

『ぬしは上級天使に兄の影を見ているようじゃ』

 もうどちらのクローンが聞いた言葉かも分らない、虚ろに木霊する心読みの者の台詞が、やはり一番真実な のだろう。僕が彼を憎み切れない、その理由。

「…せめて、ずっとここにいてくれないか」

 弱々しい声でほろと零れるように言われた瞬間、思わず顔を上げたけれど、あまりの意外さに、その意味が 染み透るまでには少し時間がかかった。彼は自分でも、らしくない心弱いことを言ったという自覚があるのだろう。当初、なにか強烈な磁力をもって僕をねめつ けた紅い瞳は、あらぬ方向へと逸らされている。

 そうして僕は――彼の願いを叶えたのだ。



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